帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔七十八〕頭中将の

2011-05-25 00:15:00 | 古典

  



                                      帯とけの枕草子〔七十八〕頭中将の



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔七十八〕頭中将の

 
 頭中将(藤原斉信)が、すずろなるそらごと(何のかかわりも無い空言)を聞いて、私を・ひどく言い貶め、「なにしに人と思ひほめけん(何で、一人前の女と思って褒めたのだろう)」などと、殿上でしつこく言っておられると聞くのも、気後れするけれど、本当ならともかく、ひとりでに聞き直されるだろうと笑って過ごしているときに、黒戸(清涼殿の北廊)の前を渡るときにも、私の・声などするおりは袖で顔を塞いで、ちらりとも見ず、ひどく憎んでおられるので、どうのこうの言わず、こちらも無視して過ごしていると、二月の末ごろ、ひどく雨が降って、することもないときに、「御物忌みなので、籠もっておられて、それにしても寂しいなあ、ものでも言いかけてやろうかと、男たちが・おっしやっています」と女房たちが語っているけれど、「よもやありはしない」などと応えているとき、一日中下に居て日暮れになって参ったので、宮は夜殿に入られていたのだった。長押の下で灯火を近くにとり寄せて、女房たち集まって、扁をぞつく(漢字遊びをしている)。「あらうれしい、はやくいらっしゃい」などと、私を・見つけて言うが、つまらない気がして、何しに参ったのだろうと思える。

炭櫃のもとに居たところ、そこにまた、大勢居てものなど言っているとき、「何某、参っています」と、たいそう華やかに言う。「変だわ、こんな時刻に、何事があるのか」と問わせると、主殿司(女官)であった。「ただそこもとに人伝えでなく申すべきこと」などというので、さしでて問うと、「これ、頭の殿から奉ります。ご返事をすぐに」と言う。ひどく憎んでいらっしゃるのに、如何なる文だろうかと思うが、ただ今急いで見なければならないことでもないので、「いね、いまきこえん(帰れ、そのうち返事は申す…帰れ、今に聞き知るだろう)」といって、懐に入れて奥に入った。やはり人が話しているのを聞いたりしている。主殿司が・早速返って来て、「それならば、その今あった御文を賜って来いとですね、仰せになっています。すぐにすぐにと」というのが、なんだか変なので、「いせの物語なりや(伊勢物語かな…伊勢物語には女を侮辱する場面や好色なことが多く描かれてあるがその類か)」と見れば、青い薄紙に、とっても清らかに書いておられる。胸がどきどきしたようなこと(伊勢物語の類い)ではなかったのだ。

 
 
蘭省花時錦帳下(宮中・尚書省にて花のとき錦の帳のもと)」と書いて、「末はいかに、いかに(末の句はどうする、さあどうする…貴女は・行く末どうするのだ、どうするつもりだ)」とある。いかにかはすべからん(どのように応えてやろうか…どうすべきだろうか)。宮がいらっしゃればご覧に入れるべきだが。これの末の句を物知り顔に、たどたどしい漢字を書くのも、まったく見苦しいと、思いめぐらすほどもなく、早くと女官が・責め惑わせるので、ただその末尾に、炭櫃に消え炭があるので、「草の庵をたれかたづねん(草葺の庵を誰が訪ねて来るでしょうね・末は草庵の中、独り暮らしよ…末は荒れた井ほり女よ、誰が訪れるでしょうか)」と書き付けてとらせたが、まだ返事も言ってこない。

 

女房ら・皆寝て明くる朝、さっそく局に下りると、源中将(宣方)の声で、「こゝに草の庵やある(ここに草の庵とやらはありますか)」と、おおげさに言うので、「変よ、どうして人っ気のないものがあるでしょうか。玉のうてな(玉の台…人をお乗せする美しい台)とお求めになられるなら、私が・応じるでしょうに」という。「ああうれしい、下に居たのだ。上に居るとき尋ねようとしたのだが」といって(この男にはおかしさは通じていない)。

 昨夜あった様子を、「頭中将の宿直所に、すこしもののわかる人々だけ、六位まで集まって、よろずの人の身の上を、昔と今と語り出して言っているついでに、『やはりこの者、むやみに交際絶え果てて後もだ、どうかと思われるがこのままではいられない。もしや言い出してくることもあるかと待っていても、いささか何とも思っていない。つれないのも全くしゃくにさわるので、今宵悪しとも良しとも定めて止めにしょう』ということで、皆で言い合わせた言を持って行かせたのだが、『ただ今は見るつもりあませんと奥に入りました』と主殿司が言ったので、また追い返して、『ただ袖を捕らえてでも、いやいやさせず、返事を請い取って持って来い。そうでないと、文を取り返せ』と戒めて、あれほど降る雨の盛りに遣ったところ、早々に帰って来た。『これ』と言って差し出したのは遣った文なので、返したのかと、ふと見て、併せて『おゝ』と、をめく(喚く…わめく)ので、『変だぞ、如何なることだ』とみな寄って、見て『いみじきぬす人を(ひどい奴め…ひどい寝方する女だよ)、猶えこそ思いすつまじけれ(やはりこれでは思いを捨てることはできないだろうな・行末も)』と見て騒いで、『これの本の句を付けてやろう。源中将付けよ』などと言われ、夜の更けるまで付けわずらってやめにしたことは、行末までも必ず語り伝えるべきことです」などと、片腹痛いまでに言い聞かせて、「御名をば、今は『草の庵』とですね付けています」と言って、急いで去って行かれたので、「いとわろき名の、すゑの世まであらんこそ、口をしかなれ(とっても悪い名が、末の世まで有るのでしょうね、がっかりで、なさけないわ……ひどく悪い汝の名が、末の世まで在るでしょうねえ、お気の毒ですわ)」と、女たちと・言っているところに、修理の亮、則光(兄と称するわが前夫が来て)、「ひじょうに喜ばしい伝言ですよ、上に居るかと先に参って来た」と言うので、「何んなの、司召し(任官の儀)なんて聞いてませんのに、何におなりになられたのよ」と問えば、「いや、まことにほんとに喜ばしいことが昨夜ございましてね、待ち遠しい思いして明かしてですね、これほど、面目あることはかってなかった」といって、はじめにあったことなど、源中将の語られたのと同じことを言って、「『ただ、この返事によっては、平凡なら、こかけをしふみし(こかし、圧し、踏みして)、全然そのような者が居たとも思わない』と、頭中将がおっしやったので、ある限り考え用意して、文を・お遣りになったので、初めただ帰って来たのは、なかなか良かった。返事持って来た二度めは、どんなのだろうかと胸つぶれて、まことに悪かったらならば、兄にとっても悪いことになるにちがいないと思っていたとき、並みなんてものじゃない、そこらの人がみな誉めそやしている。『あにき、こちらへ来いよ、これ聞け』とおっしゃったので、下心地はたいそう嬉しいけれど、『そのような方(詩歌の道)には、とてもお仕えできない身でしてね』と申したところ、『言を加えよ聞き知れというのではない。ただ人に語れということで聞かせるのだ』とおっしゃったのだよ。知ってのとおり少しなさけない兄の感覚ではあるけれども、歌の本をつけようと試みても言いようがない。『特に、なんでまた、これの返ししなければならないのか』などと言い合わせ、『返して悪いと言われたら、むしろ悔しいだろう』といって、夜中まで居られた。これは我が身のためにも当人のためにも、喜びではありませんか。司召で少々の司得られるとしても、何とも思わないでしょうね」と言えば、現に多数の男たちで、そのようなことがあるとは知らないで、あのような返事して、ねたうもあるべかりける哉(寝たうもありそうだったかなあ…もっと憎らしくすべきだったかなあ)と、これにはまったく、胸つぶれて思った。
 この、いもうと・せうと(妹・兄)と言うことは、主上まで皆お知りになられていて、殿上でも司の名をば言わないで、則光は「せうと」と名付けられていた。

 

物語などしているときに「先ず」と宮が召されたので参ったところ、この事を仰せになろうとされたのだった。主上がお笑いになられて、語り聞かせられて、「男どもみな扇に書き付けてだな、持っているぞ」などと仰せられる。
 それにしても心外で腹立たしく何が、『草のいほりと書け』と・言わせたのかと思ったのである。さて後には、斉信は私を隔てる・袖の几帳などとり捨てて、思い直りされたようである。

 

言の戯れと言の心
 
「末は如何に如何に…末の句は如何に…行末はどうするつもりだ…長徳元年(995)二月のつごもり頃に関白道隆は病に倒れていた。斉信には中関白家の末が見えていたのでしょう。ほんとうに心配してくれたのかな」「草の庵…粗末な家…粗野な女…草の井掘り…粗野なまぐあい女」「草…草葺…粗末…あばらな…女」「いほり…庵…女…井ほり…まぐあい」「井…女」「玉…美称」「うてな…台…高殿…女」「ぬす人…盗人…ふつうに相手を罵るときに使う言葉…寝す人…多情な人」「くちをし…自分についてがっかりしてなさけない…相手にたいしてきのどくに思う」「な…名…うわさ…汝」「扇…あふき…逢う氣…合う気…まぐあう氣」「なにのいわせけるにか…何を言わせようとしたのか…何を言わんとしたのか…返事は、男ども草の井ほりに合う気あり・ということらしい」。


 
 白楽天の詩句「蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中」は、廬山に独り住む病気の翁が宮中に居る三人の友人に寄せたもの。諸君は、尚書省花の時錦の帳のもと、われは廬山、雨の夜、草庵のうちに居る、けれども、終身、かたくむすばれた心はまさに在るでしょうね云々。
 
  「末は如何」と言い掛けられたので、余情を込めて「草の庵」と応じた。男たちが愛でたわけは、女が漢詩を知っていたからという皮相なことではない。返答に「心におかしきところ」があるからで、「おゝとをめく」ほどのことである。それを同じく享受するには、「くさ」と「いほり」の戯れの意味を心得ればいい。

 この話はこれでは収まらない。斉信への挑発の結果など次〔七十九〕以下に記す。
 


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)

 

 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による

 


帯とけの枕草子〔七十七〕御仏名のまたの日

2011-05-23 00:08:26 | 古典

 



                                帯とけの枕草子〔七十七〕御仏名のまたの日



 
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 清少納言 枕草子〔七十七〕御仏名のまたの日

 御仏名(罪を懴悔する法会)の次の日、地獄絵の屏風をとりひろげて、宮にご覧に入れられる。気味悪く、ひどいこと限りない。宮「これ見よ、これ見よ」と仰せられるけれども、それ以上拝見致さずに、気味悪さのため小部屋に隠れ伏した。

 雨がひどく降っていて、することもないので、殿上人を上の御局に召して、管弦などの御遊びがある。道方の少納言の琵琶はすばらしい。済政の箏の琴、行義の笛、経房の中将の笙の笛などおもしろい。ひとわたり、演奏を楽しんで、琵琶弾き止んだころに、大納言殿(宮の兄君、伊周)
「琵琶の声止んで物語せんとすること遅し」と朗詠されたので、隠れ伏していた者(私め)が起き出して、「猶、罪は恐ろしけれど、ものゝめでたさはやむまじ(やはり、仏法の禁じた事を破る罪は恐ろしいけれど、遊びの愛でたさは、止まないでしょう……汝お、つみは、恐ろしいけれど、ものの愛でたさは尽きないでしょう)」と言って笑われる。

 言の戯れと言の心
 「物語せんとすること遅し…(管弦の音止んだ後の)静寂の間…白楽天の詩『琵琶行』では、左遷された地方の国で、誰が弾くともわからぬ琵琶の音を船上で聞く、都の曲であったので、感激して我を忘れ、闇にむかって弾く者は誰かと問うと、他の船の琵琶の声止んで、答えようとすること遅し、ようやく、弾き手の女は、都で元一流の奏者だったが商人の妻となりこの国に流れてきたと身の上を語る…そんなわけで、ここは女が、大納言殿に応えるのが相応しいでしょう」。

「猶…なほ…やはり…汝お…おとこ」「つみ…罪…積み…重ねる…増す」「もののめでたさ…管弦などの遊びの愛でたさ…男女の行為の愛でたさ…身の一つのものの愛でたさ」「もの…情況…物…はっきり言えないもの」「めでたさ…愛でたさ…すばらしさ…賞美する程の…賞味する程の」「やむまじ…止まないだろう…止めないだろう」「まじ…打消しの推量を表わす」。



 応答のおかしさは、上のような言の戯れの中に生起している。笑われたのだから、意は伝わったといえるでしょう。


 この頃、長徳元年(995)は、関白道隆が病のため辞任、出家の後に亡くなった。関白を継いだ弟の右大臣道兼も卒。権大納言道長と内大臣伊周(大納言殿)が対立。従者同士も闘争。道長が右大臣となり氏長者となる。道長の随身殺害されるなど激動の年。同時に、中宮とわれらが後宮の受難が始まるのである。



 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人しらず (2015・8月、改定しました)


 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子(岩波書店)による


帯とけの枕草子〔七十六〕心ちよげなる物

2011-05-22 00:16:39 | 古典

 



                     帯とけの枕草子〔七十六〕心ちよげなる物



 
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子
〔七十六〕心ちよげなる物

 心ちよげなる物、うづえのほうし。みかぐらの人長。かぐらのふりはたとかもたる物。

 清げな姿
 心地よさそうなもの。卯杖の帽子(長寿を寿ぐ杖の頭に付けられた紙の飾り)。御神楽の指揮者。神楽の振幡とかを持っている者。


 心におかしきところ
 気持ちよさそうなもの、得つ枝の奉仕。身かみ楽しませる人の長き。かみ楽しませの振り端多とか持つ者。


 言の戯れと言の心

「心ちよげ…気持良さそう…快さそう…感じ好さそう」「物…物体…何とも言えないもの…状況…情況…者」「うつえのほうし…長寿など祝う杖の頭の飾り…卯杖のかしら包みたる小さき紙と〔八三〕にもある…得つ枝の奉仕…得た身の枝の奉仕」「うつ…得つ…得た…取り入れた」「え…杖…枝…身の枝…おとこ」「ほうし…帽子…奉祠…あがめ奉る…奉仕…仕え奉る」「み…御…身…見…覯」「かぐら…神楽…神遊び…神に捧げる歌舞…女に捧げる楽しみ」「神…上…髪…女」「はた…旗…幡…端…二十…はたまたその上に…端多…端多情」「端…身の端…をとこ・をんな」。

 


 「かみ」という言葉は、神、髪、上、女という意味を孕んでいる。神遊びの歌を聞きましょう。

 古今和歌集 巻第二十 神あそびのうた  とりものゝうた(採り物の歌)
 神がきのみむろの山のさかきばは 神のみまへにしげりあひにけり
 
(神垣の三室の山の榊葉は 神の御前に茂りあっていることよ……かみが木の、みむろの山ばのさか木端は、女の身前で繁り合っていることよ)。


  
「神…女」「かき…垣…が木…の木…のおとこ」「木…男…おとこ」「むろ…室…女」「み…御…三…見…身」「山…山ば」「さかき…榊…採り物…取り入れたもの…おとこ木」「しげりあひ…繁りあう…盛んな生長による枝葉の重なり合い…お盛んな山ばでの合い」。



 歌の言葉は、藤原俊成の云う通り、浮言綺語の戯れに似ているけれども、そこに深い趣旨が顕われる。

枕草子も和歌と同じ女の言葉で語ってある。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人しらず  (2015・8月、改定しました)



 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子(岩波書店)による


帯とけの枕草子〔七十五〕あぢきなき物

2011-05-21 00:02:33 | 古典

 



                     帯とけの枕草子〔七十五〕あぢきなき物



 
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔七十五〕あぢきなき物

 
 あぢきなき物、わざと思ひたちて宮づかへにいでたちたる人の、物うがり、うるさげに思ひたる。
 とりこのかほにくげなる。
 しぶしぶに思ひたる人をしゐてむこどりて、思さまならずとなげく。


 清げな姿

 

あぢきなき物(苦々しいがどうしょうもないもの)。わざわざ思い立って宮仕えに出でている人が、つらがって、めんどくさく思っている。
 養子の顔、かわいげがない。
 渋っている人を強いて婿に取って、思いどおりではないと嘆く。


 
心におかしきところ
 
味気無い物、わざわざ思いも物も立って、宮こへ送り届けるよと奉仕し始めた人が、つらがって、めんどくさく思っている。
 取り入れた子の君、彼お、快くない。
 渋々で思い垂る人お、強いて婿に取って、思いを思えないと嘆く。


 言の戯れを知り言の心を心得ましょう。

 「あぢきなき…不当だ…にがにがしい…不満だがどうしょうもない」
「物…物体…何とも言えないもの…状況…情況…者」「宮づかへ…宮中でお仕えすること…女を宮こへ送り届けること、なま宮づかえともいう」「宮…宮こ…京…絶頂」「かほ…顔…彼ほ…彼お」「にくげ…みにくいさま…かわいげがない…不快なさま」「思さまならず…思っていた様子ではない…思いを思う様に成らず」。



 おとなの女には、すぐにわかる「あじけなさ」でしょう。



 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人しらず  (2015・8月、改定しました)



 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子(岩波書店)による

 


帯とけの枕草子〔七十四〕しきの御ぞうし

2011-05-20 00:14:30 | 古典

  



                                  帯とけの枕草子〔七十四〕しきの御ぞうし



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔七十四〕しきの御ぞうし

 
 職の御曹司(内裏を出てすぐ北東の建物…内裏の鬼門に追いやられたとは言いたくない)に、中宮が・いらっしゃる頃、木立などがはるか高く古木で、屋敷の様子も高く、けどをけれどもすずろにおかしうおぼゆ(親しめないけれども何となく風情を感じる…人近寄り難いけれども思いがけず趣は感じる)。

母屋には鬼がいるということで、南へ隔て離れて、南の廂の間に御几帳立てて、宮はいらっしゃる。まご廂に女房は控えている。

 
 近衛の御門より、左衛門の陣(内裏の東門の詰所)に参られる上達部の、さきども(先ばらいの声々)、殿上人のは短いので、おほさき、こさき(大前駆、小前駆…大さき、小さき)と、女房たちが名づけて聞きさわぐ。数多く度重なれば、その声々をみな聞き知って、主人はその人よ、あの人よなどと言っているので、また、彼ではないわなどと言えば、他の人を見にやらせたりして言い当てると、だからやっぱりねなどと言うのも、おかしい。

 
 あり明(有明け…月人壮士の残って居る朝)の、たいそう霧に包まれている庭に下りて散歩するのをお聞きになられて、主上、宮もお起きになられた(御変わりなく御仲は睦ましい)。上にお仕えする女房たちも皆出て、庭に下りたりして遊ぶときに、しだいに明けてゆく。「左衛門の陣にまかり見ん(左衛門の陣に行って見ましょう)」と行けば、われもわもと追っかけて続いて行くときに、殿上人の大勢の声がして、「何がし一声秋(誰かの一声の秋…誰かの一声の飽き)」と朗詠して参る声がするので、女房たちは逃げ入って応対する。
 「月を見給けり(有明の月をご覧になられたのね…その女は月人壮士を見給うたのね)」などと愛でて、歌詠む女もいる。夜も昼も、殿上人の絶える折もない。上達部まで参り給うので、とくに急ぐことのない者は必ず参上される。


 言の戯れと言の心

 「けどを…氣遠…遠く隔たった感じ…人気が無い…近寄り難い」「すずろ…漫然と進行するさま…思いがけないさま」「あり明…月が空に残っている明け方…いまだ男が女のもとに居る朝方」「月…月人壮士(万葉集の歌詞)…つき…おとこ」「さき…前払い…身の先端…お花の咲きっぷり」。

 

 
 朗詠するのを聞き逃げた詩を聞きましょう。

 
 藤原公任撰「和漢朗詠集」上、夏納涼  源英明

 池冷水無三伏夏 松高風有一声秋

 (池冷く水に長く暑い夏無し、松高く風に一声の秋有り……逝け冷ややか、をみなに三伏の撫づ無し、待つひと高く心風に一声の厭き有り

 

同じ言なれども聞き耳異なるもの、男の言葉、女の言葉。漢字も様々色々に戯れる。

 「池…逝け…尽き」「水…をみな…女」「三伏…暑い夏の三十日間…三度伏す…三度の熱い共寝」「夏…なつ…撫つ…熱い愛撫」「松…待つ…女」「風…心に吹く風」「秋…厭き…いとわしい…飽き…満ち足りる」。


 なお、或る人、この詩句「水冷池無三伏夏 風高松有一声秋」と作るべきだといったという。すると「……をみな冷え逝く、三伏の熱い撫づは無けれども、心風高く、待つ女一声の飽き満ち足り有り」と聞こえるのでしょう。

 

女たちもこの詩句の意味を知っていて「その女は月(月人をとこ…尽き)を見たのね」と和歌を詠む者も居る。

 


 如何なる所にあっても、たとえ気遠く意外な所に追いやられても、社交の中心はこの後宮にある。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人しらず  (2015・8月、改定しました)



 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 枕草子(岩波書店)による