■■■■■
帯とけの枕草子〔七十八〕頭中将の
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔七十八〕頭中将の
頭中将(藤原斉信)が、すずろなるそらごと(何のかかわりも無い空言)を聞いて、私を・ひどく言い貶め、「なにしに人と思ひほめけん(何で、一人前の女と思って褒めたのだろう)」などと、殿上でしつこく言っておられると聞くのも、気後れするけれど、本当ならともかく、ひとりでに聞き直されるだろうと笑って過ごしているときに、黒戸(清涼殿の北廊)の前を渡るときにも、私の・声などするおりは袖で顔を塞いで、ちらりとも見ず、ひどく憎んでおられるので、どうのこうの言わず、こちらも無視して過ごしていると、二月の末ごろ、ひどく雨が降って、することもないときに、「御物忌みなので、籠もっておられて、それにしても寂しいなあ、ものでも言いかけてやろうかと、男たちが・おっしやっています」と女房たちが語っているけれど、「よもやありはしない」などと応えているとき、一日中下に居て日暮れになって参ったので、宮は夜殿に入られていたのだった。長押の下で灯火を近くにとり寄せて、女房たち集まって、扁をぞつく(漢字遊びをしている)。「あらうれしい、はやくいらっしゃい」などと、私を・見つけて言うが、つまらない気がして、何しに参ったのだろうと思える。
炭櫃のもとに居たところ、そこにまた、大勢居てものなど言っているとき、「何某、参っています」と、たいそう華やかに言う。「変だわ、こんな時刻に、何事があるのか」と問わせると、主殿司(女官)であった。「ただそこもとに人伝えでなく申すべきこと」などというので、さしでて問うと、「これ、頭の殿から奉ります。ご返事をすぐに」と言う。ひどく憎んでいらっしゃるのに、如何なる文だろうかと思うが、ただ今急いで見なければならないことでもないので、「いね、いまきこえん(帰れ、そのうち返事は申す…帰れ、今に聞き知るだろう)」といって、懐に入れて奥に入った。やはり人が話しているのを聞いたりしている。主殿司が・早速返って来て、「それならば、その今あった御文を賜って来いとですね、仰せになっています。すぐにすぐにと」というのが、なんだか変なので、「いせの物語なりや(伊勢物語かな…伊勢物語には女を侮辱する場面や好色なことが多く描かれてあるがその類か)」と見れば、青い薄紙に、とっても清らかに書いておられる。胸がどきどきしたようなこと(伊勢物語の類い)ではなかったのだ。
蘭省花時錦帳下(宮中・尚書省にて花のとき錦の帳のもと)」と書いて、「末はいかに、いかに(末の句はどうする、さあどうする…貴女は・行く末どうするのだ、どうするつもりだ)」とある。いかにかはすべからん(どのように応えてやろうか…どうすべきだろうか)。宮がいらっしゃればご覧に入れるべきだが。これの末の句を物知り顔に、たどたどしい漢字を書くのも、まったく見苦しいと、思いめぐらすほどもなく、早くと女官が・責め惑わせるので、ただその末尾に、炭櫃に消え炭があるので、「草の庵をたれかたづねん(草葺の庵を誰が訪ねて来るでしょうね・末は草庵の中、独り暮らしよ…末は荒れた井ほり女よ、誰が訪れるでしょうか)」と書き付けてとらせたが、まだ返事も言ってこない。
女房ら・皆寝て明くる朝、さっそく局に下りると、源中将(宣方)の声で、「こゝに草の庵やある(ここに草の庵とやらはありますか)」と、おおげさに言うので、「変よ、どうして人っ気のないものがあるでしょうか。玉のうてな(玉の台…人をお乗せする美しい台)とお求めになられるなら、私が・応じるでしょうに」という。「ああうれしい、下に居たのだ。上に居るとき尋ねようとしたのだが」といって(この男にはおかしさは通じていない)。
昨夜あった様子を、「頭中将の宿直所に、すこしもののわかる人々だけ、六位まで集まって、よろずの人の身の上を、昔と今と語り出して言っているついでに、『やはりこの者、むやみに交際絶え果てて後もだ、どうかと思われるがこのままではいられない。もしや言い出してくることもあるかと待っていても、いささか何とも思っていない。つれないのも全くしゃくにさわるので、今宵悪しとも良しとも定めて止めにしょう』ということで、皆で言い合わせた言を持って行かせたのだが、『ただ今は見るつもりあませんと奥に入りました』と主殿司が言ったので、また追い返して、『ただ袖を捕らえてでも、いやいやさせず、返事を請い取って持って来い。そうでないと、文を取り返せ』と戒めて、あれほど降る雨の盛りに遣ったところ、早々に帰って来た。『これ』と言って差し出したのは遣った文なので、返したのかと、ふと見て、併せて『おゝ』と、をめく(喚く…わめく)ので、『変だぞ、如何なることだ』とみな寄って、見て『いみじきぬす人を(ひどい奴め…ひどい寝方する女だよ)、猶えこそ思いすつまじけれ(やはりこれでは思いを捨てることはできないだろうな・行末も)』と見て騒いで、『これの本の句を付けてやろう。源中将付けよ』などと言われ、夜の更けるまで付けわずらってやめにしたことは、行末までも必ず語り伝えるべきことです」などと、片腹痛いまでに言い聞かせて、「御名をば、今は『草の庵』とですね付けています」と言って、急いで去って行かれたので、「いとわろき名の、すゑの世まであらんこそ、口をしかなれ(とっても悪い名が、末の世まで有るのでしょうね、がっかりで、なさけないわ……ひどく悪い汝の名が、末の世まで在るでしょうねえ、お気の毒ですわ)」と、女たちと・言っているところに、修理の亮、則光(兄と称するわが前夫が来て)、「ひじょうに喜ばしい伝言ですよ、上に居るかと先に参って来た」と言うので、「何んなの、司召し(任官の儀)なんて聞いてませんのに、何におなりになられたのよ」と問えば、「いや、まことにほんとに喜ばしいことが昨夜ございましてね、待ち遠しい思いして明かしてですね、これほど、面目あることはかってなかった」といって、はじめにあったことなど、源中将の語られたのと同じことを言って、「『ただ、この返事によっては、平凡なら、こかけをしふみし(こかし、圧し、踏みして)、全然そのような者が居たとも思わない』と、頭中将がおっしやったので、ある限り考え用意して、文を・お遣りになったので、初めただ帰って来たのは、なかなか良かった。返事持って来た二度めは、どんなのだろうかと胸つぶれて、まことに悪かったらならば、兄にとっても悪いことになるにちがいないと思っていたとき、並みなんてものじゃない、そこらの人がみな誉めそやしている。『あにき、こちらへ来いよ、これ聞け』とおっしゃったので、下心地はたいそう嬉しいけれど、『そのような方(詩歌の道)には、とてもお仕えできない身でしてね』と申したところ、『言を加えよ聞き知れというのではない。ただ人に語れということで聞かせるのだ』とおっしゃったのだよ。知ってのとおり少しなさけない兄の感覚ではあるけれども、歌の本をつけようと試みても言いようがない。『特に、なんでまた、これの返ししなければならないのか』などと言い合わせ、『返して悪いと言われたら、むしろ悔しいだろう』といって、夜中まで居られた。これは我が身のためにも当人のためにも、喜びではありませんか。司召で少々の司得られるとしても、何とも思わないでしょうね」と言えば、現に多数の男たちで、そのようなことがあるとは知らないで、あのような返事して、ねたうもあるべかりける哉(寝たうもありそうだったかなあ…もっと憎らしくすべきだったかなあ)と、これにはまったく、胸つぶれて思った。
この、いもうと・せうと(妹・兄)と言うことは、主上まで皆お知りになられていて、殿上でも司の名をば言わないで、則光は「せうと」と名付けられていた。
物語などしているときに「先ず」と宮が召されたので参ったところ、この事を仰せになろうとされたのだった。主上がお笑いになられて、語り聞かせられて、「男どもみな扇に書き付けてだな、持っているぞ」などと仰せられる。
それにしても心外で腹立たしく何が、『草のいほりと書け』と・言わせたのかと思ったのである。さて後には、斉信は私を隔てる・袖の几帳などとり捨てて、思い直りされたようである。
言の戯れと言の心
「末は如何に如何に…末の句は如何に…行末はどうするつもりだ…長徳元年(995)二月のつごもり頃に関白道隆は病に倒れていた。斉信には中関白家の末が見えていたのでしょう。ほんとうに心配してくれたのかな」「草の庵…粗末な家…粗野な女…草の井掘り…粗野なまぐあい女」「草…草葺…粗末…あばらな…女」「いほり…庵…女…井ほり…まぐあい」「井…女」「玉…美称」「うてな…台…高殿…女」「ぬす人…盗人…ふつうに相手を罵るときに使う言葉…寝す人…多情な人」「くちをし…自分についてがっかりしてなさけない…相手にたいしてきのどくに思う」「な…名…うわさ…汝」「扇…あふき…逢う氣…合う気…まぐあう氣」「なにのいわせけるにか…何を言わせようとしたのか…何を言わんとしたのか…返事は、男ども草の井ほりに合う気あり・ということらしい」。
白楽天の詩句「蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中」は、廬山に独り住む病気の翁が宮中に居る三人の友人に寄せたもの。諸君は、尚書省花の時錦の帳のもと、われは廬山、雨の夜、草庵のうちに居る、けれども、終身、かたくむすばれた心はまさに在るでしょうね云々。
「末は如何」と言い掛けられたので、余情を込めて「草の庵」と応じた。男たちが愛でたわけは、女が漢詩を知っていたからという皮相なことではない。返答に「心におかしきところ」があるからで、「おゝとをめく」ほどのことである。それを同じく享受するには、「くさ」と「いほり」の戯れの意味を心得ればいい。
この話はこれでは収まらない。斉信への挑発の結果など次〔七十九〕以下に記す。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)
原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による