帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百二十五と三百二十六)

2012-09-24 00:05:00 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百二十五と三百二十六)


 わび果つる時さへもののかなしきは いづれをしのぶ心なるらむ
                                  
(三百二十五)

 (がっかりして、気落ちし果てた時さえ、もの悲しいのは、何を耐え忍ぶ心なのでしょうか……君ががっくりと果てた時、小枝、ものが愛しいのは、出づるお、恋い慕う心なのでしょうか)


 言の戯れと言の心

 「わび果つる…すっかり悲観してしまう…気落ちしてがっくりした…やりきれず果てた」「さへ…までも…添加の意を表す…さ枝…小枝」「さ…美称…小」「枝…身の枝…おとこ」「もの…言い難きもの…さ枝」「かなし…悲し…愛し」「いづれを…何を…出づれお…出たお」「しのぶ…忍ぶ…耐え忍ぶ…偲ぶ…恋い慕う…懐かしむ」「らむ…どうしてだろう…何なのだろう…原因・理由を推量する意を表す」。


 古今和歌集 恋歌五、題しらず、よみ人しらず。第四句「いづこをしのぶ」。女の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、気落ちし果てた時に、なお悲しいのは、執着する心を我慢しているのでしょうか。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、がっくりと果てた小枝、愛しいのは出でるおを偲ぶ女心でしょうか。

 


 身は捨てつ心をだにもはふらさじ つひには如何なると知るべく
                                  
(三百二十六)

 (身は捨てた、心だけは放り出さない、終にはどうなるかと、知ることができるように……身の枝は津井に見捨てた、心だけは放り出さない、捨てた身、終には、津井ではどうなるかと、知ることができるように)


 言の戯れと言の心

 「身は捨てつ…わが身を犠牲にした…出家隠遁した…見は捨てた」「身…男の身…さ枝…見…まぐあい」「すてつ…捨てた…(果てたものを)見捨てた」「はふらさじ…放り出さない…(心は)見捨てない」「つひに…終に…最後に…つゐに…津井で」「津…女…井…女」「に…時や場所を示す」「いかなる…如何なる…どうなる…(津井には放り出されるか愛しがられるか)どうなる」。


 古今和歌集 雑体、誹諧歌。題しらず、男の歌。

 歌の清げな姿は、世の憂きを厭い、浮かぶ瀬もあるかと身は捨てた、どうなるのか。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、果てたので見捨てた、どうなることやら、折れ逝った小枝を思う男心。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百二十三と三百二十四)

2012-09-22 00:12:57 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百二十三と三百二十四)


 あさぢふの小野の篠原しのぶとも 人しるらめや言ふ人なしに
                                  
(三百二十三)

 (浅く茅の生える小野の篠原、偲べども、あの人は知っているのでしょうか、言う人いないので……浅いおとこ夫の、山ばの無い野原、耐え忍ぶとも、あの人は知っているのかしら、言う人いないし)


 言の戯れと言の心

 「あさぢふ…浅茅生…低い茅が生えている…情浅いおとこ極まる」「浅茅…浅いおとこ…情の浅い矛くさ」「茅…すすきなどと共に男」「ふ…生…夫」「おふ…生える…極まる」「小野の篠原…所の名…名は戯れる。小野の偲ぶ腹。山ばの無い小さな野原忍ぶ腹」「はら…原…山ばなし…腹…心の内」「しのぶ…偲ぶ…恋い慕う…忍ぶ…耐え忍ぶ」。


 古今和歌集 恋歌一。題しらず、よみ人しらず。女の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、片恋の女の心情。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、浅く山ばの無い夜の仲についての女の憤懣。

 


 山彦のおとづれじをぞ今は思ふ われか人かとたどらるゝよに
                                  
(三百二十四)

 (山彦のように折り返して訪れないとだ、今は思う、どうして我か他の人ではないのかと思い惑っている世に……山ばのおとこが、お門つれないとだと、今は思う、われかひとかとさぐり求めあう夜なのに)


 言の戯れと言の心

 「山彦の…山彦のように…山ばのおとこが」「山…山ば」「ひこ…彦…男…おとこ」「おとづれじ…訪れない…お門つれじ…おとこ門つれない…和合できない」「を…対象を示す…お…おとこ」「ぞ…強く指示する意を表す」「われか人かと…我なのか他の人ではないのか…手さぐりでわれかひとかと」「たどらるゝ…思いまよっている…さぐり求めている…さぐり求められる…さぐり求め合う」「よに…世に…宮仕えの日々に…折りに…夜に…夜なのに」「に…時を示す…ので…のに」。


 古今和歌集 雑歌下。男の歌。詞書によると、左近将監(三等官)を解任された時に、女が慰めによこした便りの返事に詠んで遣った歌。本歌は「あま彦のをとづれじとぞ今は思 我か人かと身をたどる世に」。

 歌の清げな姿は、人事に関するとまどいや不満のために萎えた男心。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、世の仕打ちに思い迷う折りで、つれない夜になるので、訪れないという男心。

 

 
 おとなの男たちの為に撰び集めた歌を、貫之が手直ししながら編集した歌集である。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


 新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百二十一と三百二十二)

2012-09-21 00:05:14 | 古典

   


          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百二十一と三百二十二)


 あはれてふ事にしるしはなけれども 言はではえこそあらぬものなれ
                                  
(三百二十一)

 (しみじみと感動する事に、もとより標はないけれども、表現しなければ、存在することのできないものである……感極まるということに、もとより標はないけれども、あゝはれと言わなければ、あはれは無いのである)


 言の戯れと言の心

 「あはれ…しみじみと感動する…感極まる…あゝはれ…ああすばらしい…ああはればれ…あゝいい」「しるし…標…目印…目に見えるかたち」「いはでは…表現しなければ…歌などの言葉で表現しなければ…声に出して言わなければ」「えこそあらぬものなれ…在り得ないものである…この世に存在し得ないものである」「なれ…なり…断定を表す」。

 
 古今集の歌ではない。後撰和歌集 雑四 貫之。詞書によると、或るところで簾の前であれこれと話をしているのを聞いて、簾の内より女の声で「あやしくももののあはれ知り顔の翁かな」と言うのを聞いて、詠んだ歌。

 歌の清げな姿は、個人的感情は言葉で表現しなければ世に存在し得ない。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、感極まれば、あゝあゝと声に発しないと、あはれは存在しないのである。



 世の中のうけくにあきぬ奥山の 木の葉にふれる雪や消なまし
                                  
(三百二十二)

 (世の中の憂きことに厭きた、奥山の木の葉に触れる心の雪、消えてしまうでしょうか……女と男の夜の仲の浮きことに飽きた、女の山ばの、この端に降れる白ゆき、消えてしまうかしら)


 言の戯れと言の心

 「世の中…女と男の仲…夜の仲」「うけくに…憂けくに…辛いことに…浮けくに…浮かれることに」「あきぬ…飽きてしまった…厭きた…いやになった」「おく…奥…女」「山…山ば」「木の葉…此の端…わが身の端」「ふれる…触れる…降れる…降らされた(受身)」「ゆき…雪…冷え冷えした…白けた…白ゆき…おとこ白ゆき…行き…逝き」「ゆきやけなまし…雪はもしや消えてしまうでしょうか…逝き消えてしまうものかしら(断定しかねる意を表す)」。


 古今和歌集 雑歌下題しらず よみ人しらず。女の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、世を厭う心は奥山に行けば消えるのかどうか。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、飽きたといっても、この端に降り置かれた白ゆき、消えるのかどうか。                              



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百十九と三百二十)

2012-09-20 00:05:15 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百十九と三百二十)


 わが宿の一群すゝきかりかはむ 君が手なれの駒も来ぬかな
                                   
(三百十九)

 (わが家の一群の尾花、刈りするか、食うでしょう、君か、君の手馴れた駒も来ないかなあ……わがや門の一斑の薄情おとこ、かり交わすでしょう、君の手慣れの股間も来ないなあ)


 言の戯れと言の心

 「やど…宿…家…やと…屋門…門…女」「ひと…一…一か所…一回きり…一過性」「むら…群…斑…まだら…色に濃淡あり…情さだまらず」「すゝき…おばな…薄…薄い情…おとこ」「かり…刈り…めとり…まぐあい」「はむ…食む…食う」「かはむ…交わむ…交わすだろう」「君か…君かまたは…君が…君の」「てなれ…手馴れ…よく馴れた…手熟れ…熟練した」「こま…駒…股間…子間…おとこ」「も…もう一つのものを添える…前の語を強調する」「来ぬかな…来ないなあ」「かな…感嘆の意を表す」。


 古今集の歌ではない。よみ人しらず。女の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、庭の繁った尾花の処置についての思い。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、すすきを見て、かり交わす君の薄情さへの思い。

 


 あさなけに世の憂きことを忍ぶとて ながめしまゝに年ぞ経にける
                                   
(三百二十)

 (朝に昼に世の憂きことを堪え忍ぶといって、もの思いに沈んでいる間に、年月が経ったことよ……いつも、夜の浮きことを偲ぶといって、思いに浸っている間に、疾し一瞬は過ぎることよ)


 言の戯れと言の心

 「あさなけに…朝に昼に…いつも」「世…夜」「うき…憂き…浮き」「しのぶ…忍ぶ…堪え忍ぶ…偲ぶ…恋い慕う…なつかしむ」「ながめ…眺め…ぼんやり見ている…もの思いに沈む…もの思いに浸る」「とし…年…歳…疾し…早い…一瞬」「ける…けり…気付き詠嘆の意を表す。」


 古今集の歌ではない。よみ人しらず。の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、光陰矢のごとし。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、いつも、女から見れば疾患としか思えない早さで一瞬の間に、男の山ばは過ぎることよ。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (三百十七と三百十八)

2012-09-19 01:40:42 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(三百十七と三百十八)


 わがせこが来ませりけりな各宿の 草もなびけりつゆも落ちけり
                                   
(三百十七)

 (我が背の君がいらっしゃったなあ、各宿の門前の草も靡いた、露も落ちたことよ……わたしの背こがいらっしゃったわ、閉ざすやどの、妻も寄り添いしなだれたことよ、白つゆも落ちたことよ)


 言の戯れと言の心

 「せこ…背子…夫君…夫の子の君…おとこ」「な…なあ…感動の意を表す」「かくやど…各宿…各家…かく屋門…閉ざすや門」「と…門…女」「かく…各…掛く…閂掛ける…閉じる」「草…女…若草の妻(古事記にこのような表現がある時、既に草の言の心は女)」「なびく…身を寄せる…しなだれる…たおれ伏す」「つゆ…夜露…白露…おとこ白つゆ」「けり…気付や詠嘆の意を表す」。


 古今集の歌ではない。よみ人しらず。女の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、秋の宵、各家に夫君の訪れるさま。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、夫君のおとずれた後の仲睦ましいありさま。

 


 おく霜に根さへ枯れにし玉かづら いつくらむとはわれは頼まむ
                                   
(三百十八)

 (おりる霜に根さえ枯れてしまった玉葛、生きて根付くだろうと、わたしは信頼している……贈り置くしもに、声さえ嗄れ、根小枝涸れてしまった、玉且つら、且つまた、射尽くでしょうと、わたしは頼む)


 言の戯れと言の心

 「おく…降りる…贈り置く」「霜…下…白いもの」「ね…根…音…声」「根…おとこ」「さへ…さえ…までも…添加の意を表す…さ枝…身の小枝…おとこ」「かれ…枯れ…嗄れ…涸れ」「玉かづら…玉葛…玉且つら…すばらしい尚もまた」「玉…美称」「かつ…且つ…すぐに又…たちまちまた」「ら…情態を表す」「いつく…活き付く…射尽く」「頼まむ…頼むだろう…あてにするわ」「む…しょう…意志を表す」。


 古今集の歌ではない。よみ人しらず。女の歌として聞く。

 歌の清げな姿は、霜枯れの葛に寄せる思い。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、涸れた小枝に寄せる女の思い。



 

 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。