帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百六十四)(二百六十五)

2015-06-24 00:20:17 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

天暦御時歌合                      読人不知

二百六十四 ゆめのごとなどかよるしも君を見む  くるるまつまもさだめなきよに

天暦御時歌合                     (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(夢の如く・はかなく、どうして夜だけ貴女を見るのだろうか、暮れるのを待つ間も、定めなき命の現実の世なのに・常に一緒にいたい……夢のように、どうしてか近寄る、下、貴女を見ようと、暮れ待つ間も、その命・安定しないものなので)

 

の心と言の戯れ

「ゆめ…夢…はなないもの」「などか…どうしてか…なぜだか」「よる…夜…寄る…近づく…心が傾く…ものが寄り立つ」「しも…強調・限定の意を表す…だけ…下…下部…おとこ」「見…(夢)見…覯…媾…まぐあい」「む…意志を表す」「くるる…暮れてしまう…果ててしまう」「さだめなき…定め無き…安定なし…一瞬先はどうなるかわからない」「よ…世…男女の仲…夜…(竹の)節…急所…おとこ」「に…のに…ので」

 

歌の清げな姿は、せつない恋心を打ち明けて求婚する男。

心におかしきところは、おとこの乞い求め、待つ間に散り果てるかもと切迫感を添える。

 

 

(天暦御時歌合)                        能宣

二百六十五 恋しきをなににつけてかなぐさめん ゆめだにみえずぬるよなければ

(大中臣能宣・拾遺集では、作者、源順)

(恋しい心を、何につけて慰めようか、貴女の・夢さえ見えず、恋しくて眠れず・寝る夜がないので……乞いしき、お、何につけて慰めようか、貴女の・夢は見ずに寝る夜がなければ・夜毎に貴女を夢では見ているので・他にどうしたらいいのか)

 

の心と言の戯れ

「を…対象を示す…お…おとこを」「なぐさめん…心を慰めよう(か)…癒してやろう(か)…なだめてやろう(か)」「ゆめだにみえずぬるよなければ…夢だに見えず寝る夜なければ…夢も見えない恋しさに眠むれず寝る夜がないので…夢にだけは見ない夜はない・打消しの打消し・夢では見ている夜毎に」「見…(夢)見…覯…媾…まぐあい」

 

歌の清げな姿は、せつない恋心を打ち明け求婚する男。

心におかしきところは、おとこの乞い心を慰める手立てを女に迫るところ。


 

古今和歌集 春歌上に、業平朝臣の次のような歌がある。この歌は伊勢物語にもある。

 

けふ来ずはあすは雪とぞふりなまし 消えずはありとも花と見ましや

(今日、訪ねて来なければ、明日は雪となり降るだろう、消えずに有っても、誰が・花と見るだろうか……京来なければ、明日は、白ゆきとなって降るだろう、消えずに残ってあるとしても、おとこ花と・わが魂と、貴女は・見るだろうか)

 

の心と言の戯れ

「けふ…今日…京…和合の極み」「雪…ゆき…逝き…おとこ白ゆき」「花…桜…木の花…男花…おとこ白い花…おとこの情念…おとこの魂」「見…花見…覯…媾…まぐあい」。

 

次のような、よみ人しらずの女歌の返しであるという。


   桜の花の盛りに、久しく訪はざりける人の来たりける時によみける

あだなりとなにこそ立てれ桜花 年にまれなる人も待ちけり

(あっけなくかりそめのものと評判の立っている桜花、年に稀にしか来ない人でも、花見に来るのを散らさず・待っていたことよ……無駄に、何に、汝、立っているのよ、男花、年に稀な君でも、女は待っていたのよ)


  言
の心と言の戯れ

「な…名…評判…汝…親しきもの」「なに…何に…何の為」「立てれ…(評判が)立っている…ものが立っている」「人も…人でも…薄情な君でも…女も」

 

「天暦御時歌合」の両歌は、その底辺が業平の歌に連なっている。

業平の歌を上のように聞けば、「萎める花の色なくて、匂ひ残れるが如し」という、業平歌の批評の「匂ひ」が何かがわかる。業平の歌を、貫之と同じ聞き方をしているからだろう。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百六十二)(二百六十三)

2015-06-23 00:12:35 | 古典

          

 


                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

(題不知)                         読人不知

二百六十二 ゆめをだにいかでかたみに見てしかな あはでぬるよのなぐさめにせむ

         題しらず                          (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(夢だけでも、何とかして、形見に、貴女に逢うところを・見たいなあ、逢わず寝る夜の慰めにしようと思う……夢の中だけでも、逝かずに、堅身で見たいなあ、合えず寝る夜の慰めにするつもり)

 

の心と言の戯れ

「いかで…何とかして…逝かで…逝かずに」「で…ず…打消の意を表す」「かたみ…形見…思い出のすよすが…堅身…武樫おとこ」「見…(夢に)見る…覯…媾…まぐあい」「てしか…願望を表す…(見)たい」「な…詠嘆を表す…なあ」「あはで…逢わず…合わず」「なぐさめ…慰め…気晴らし…心の癒し」

 

歌の清げな姿は、くるしい逢えない恋。

心におかしきところは、いつも和合ならず果てるおとこの心根。

 

 

(題不知)                         読人不知

二百六十三 ゆめよりもはかなき物はかげろふの ほのかにみえしかげにざりける

         題しらず                        (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(夢よりも儚いものは、陽炎のように、ほのかに見えた、あの時の君の・お姿ではないかあ……夢よりも果敢ない物は、かげろうのように、仄かに見ていた、君の・陰ではないかあ)

 

の心と言の戯れ

「ゆめ…夢…儚いもの」「はかなき…儚き…果敢なき…とりとめなくむなしい…もろくて頼りない」「物…もの…ばくぜんと物事…物体…おとこ」「の…比喩を表す」「ほのかに…仄かに…ほんのちょっと…薄ぼんやりと」「み…見…覯…媾…まぐあい」「かげ…影…姿…陰…おとこ」「ざりける…でなかったかあ…打消・詠嘆は感情の高ぶりの表れか…さりける…(消え)去ることよ…(公の歌集、拾遺集では)にぞありける…であることよ」

 

歌の清げな姿は、夢見るような乙女のせつない恋心。

心におかしきところは、やるせないおんなの憤懣を、厭き風に揺れ伏すおとこに言い遣ったところ。

 

歌は、清げな姿に包んであるが、綺麗ごとや偽りごとではない、ほんとうの心根を言葉にしてある。

 


  清少納言枕草子(九五段)の結びに、
「つつむ事さぶらはずは(歌の名手といわれる父元輔に・慎む事がいらないならば……歌は清げな姿に・包む事なくていいのならば)、千の歌なりとこれよりなん出でまうで来まし(千の歌でも今からでも詠み出せるでしょう……別れ、恋しさ、恨み辛みなど・女の千の思いを腹腸わってうちあけるでしょう)と中宮に申しあげたとある。


 鳴き声を訪ねて聞いてきたのなら、郭公(鳥の名・且つ恋う・ほと伽す・女・など色々な意味を孕む)の歌を詠めと責め立てられて、清げに包むのが苦手な事は、ご存じのくせにと思って拗ねていたときに、中宮の巧妙な歌によって、本音を言わされてしまった話のようである。

 

清少納言は、歌の表現様式を公任とほぼ同じように捉えていただろう。公任の歌論を理解して、このよみ人しらずの両歌の表現方法に触れれば、清少納言のいう「つつむ」難しさがよくわかる。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百六十)(二百六十一)

2015-06-22 00:19:31 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

(題不知)                     人丸

二百六十  あさねかみ我はけずらじうつくしき 人のたまくらふれてしものを

題しらず                    (柿本人麻呂・歌のひじり)

(朝のねぐせ髪、我は櫛梳ったりしない、愛しい、あの人の手巻くら、そのとき・触れた、よきものだからなあ)

万葉集の原文は、朝宿髪 吾者不梳 愛 君之手枕 觸義之鬼尾

 

の多様な意味

「ねかみ…宿髪…ちじれ髪…(寝)ぐせ髪」「けずらじ…不梳…櫛梳らない」「うつくしき…美しい…愛…愛しい」「人…女…君(男女に用いる)」「たまくら…手枕…手巻くら…かいな巻きつける状態」「ら…状態を示す」「てし…義…意義ある…良き」「ものを…のに…のだからなあ…感動の意を表す」

 

この歌は、万葉集巻第十一の「正述心緒」とある歌群にある。比喩表現や誇張表現をあえてしない。心緒(その心の発端・糸口)を正しく、余すことなく述べ尽くされてある。作者の心がそのまま、聞き手の心に伝わる。新鮮な感じさえする。

物に寄せて思いを陳述する歌は、「寄物陳思」として、別の歌群にある。

 

 

(題不知)                    (人丸)

二百六十一 かくばかりこひしき物としらませば よそにぞ人をみるべかりける

題しらず                    (柿本人麻呂・歌のひじり)

(これ程恋しいものと、知っていれば、遠く・他所でだ、あの人を拝見していればよかたっなあ・合い見ずに)

 

の多様な意味

「かくばかり…是ほど」「こひしき…恋しき…乞いしき」「よそ…遠く隔たった所…他所」「みる…見る…拝見する」「見…覯…媾…まぐあい」「べかりける…(拝見しているのが)適当だったことよ…(拝見している)べきだったなあ」


 此の歌も万葉集巻第十一「正述心緒」の歌である。柿本人麻呂歌集出の歌に含まれている。


 原文は、
是量 恋物 知者 遠可見 有物


 これだけの文字に、恋求める男の心情が余すところなく述べられてある

漢字表記の歌を、上のように訓読したのは、「後撰集」撰者たち、梨壺の五人である。その中には清少納言の父、清原元輔もいた。男の言葉(漢字)には、多様な意味と読みが有り、「聞き耳異なるもの」であると、清少納言の言うことがよくわかる。

 

ついでながら、万葉集巻第十一「寄物陳思」には、百人一首に入る、次のような歌がある。


 
 あしひきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかもねむ

(あしひきの山鳥の尾のし垂り尾のように、長い永い、秋の・夜を、独りでか、寝るのだろうか……あの山ばの女のしりながの、枝垂れおとこの、永い永い夜を、朝まで・一人一人かなあ、寝ませんか)


 原文は
足日木之 山鳥之尾乃 四垂尾之 長永夜乎 一鴨将宿

 

の心と言の戯れ

「山…山場…感情の山」「鳥…言の心は女」「尾…後…あと…しり」「尾…お…おとこ」「しだり尾…枝垂れお…尽き果ておとこ」「ひとり…独り…一人…一人一人」「かも…疑いの意を表す…詠嘆の意を表す」「む…推量の意を表す…適当の意を表す…そうした方がいいのでは…勧誘の意を表す…そうしませんか」

 

今では、人麻呂の歌の「心におかしきところ」が全く消え失せているのである。の心を心得ず、言の戯れを見失ったためである。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百五十八)(二百五十九)

2015-06-20 00:09:01 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

題不知                         読人も

二百五十八 あひ見てもなほなぐさまぬ心かな いくちよねてか恋のさむべき

題しらず                       (よみ人もしらず・男の歌として聞く)

(お逢いし、お姿拝見しても、猶も慰められない、我が・心だなあ、幾千世寝ると、恋が冷めるのだろうか……合い見ても、汝お、汝具、冷めぬ心だなあ、幾千夜共寝すれば、乞いが冷めるのだろうか)

 

の心と言の戯れ

「あひ…逢い…合い」「見…拝見…対面…覯…媾…まぐあい」「なほ…猶・尚…ますます…汝お…我がお…おとこ」「な…汝…親しいものをこう呼ぶ」「なぐさまぬ…慰まぬ…汝具冷まぬ」「具…身に付属するもの…おんな」「かな…詠嘆の意を表す」「いくちよねて…幾千世寝ると…幾千夜共寝すると」「恋…乞い…求め合い」「べき…できるのだろう(か)…するのだろう(か)」

 

歌の清げな姿は、高嶺の花なのだろうか、片恋した男の悩みのようである。

心におかしきところは、両人の乞い求め合う心の冷めないことを確認するところ。

 

伊勢物語(22)で、男が秋の夜の千夜を一夜になずらえて八千夜し寝ばや飽く時のあらむ(秋の夜長の千夜を、大なり一夜とおいて、それを八千夜=八百万夜=二万二千年余り、共寝すれば、飽きる時があるだろうか)」と女に言った。秋の夜の千夜を一夜になせりとも 事は残りて鶏や鳴きなむ(秋の夜長の、千夜を・千夜の愛撫を、一夜の中になさいましても、思いは残って、鶏は暁に鳴く・女はよろこびに泣く、でしょうか)」と返した。絶えかけていた仲、縒りが戻ったと言う。


 男のはかない性と、女の深く長いそれを、こうして歌に詠んだ女は、自らの煩悩を充分に自覚している事を示している。なお「鶏…鳥…言の心は女」。

 

 

 

二百五十九 我がこひはなほあひみてもなぐさまず いやまさり成るここちのみして
          
(題しらず)                 (よみ人も・女の歌として聞く)

(わたしの恋は、やはり、お逢いしてみても慰められない、ますます増さる心地ばかりがして……わが乞いは、汝お、合い見ても、汝具冷めないで、否、増さりゆく心地のみして)

 

の心と言の戯れ

「こひ…恋…乞い」「なほ…猶…汝お…貴身のお」「あひみても…逢い対面しても…合い見ても」「見…覯…媾…まぐあい」「なぐさまず…慰まず…汝具冷めず…わが具は熱くもえたまま」「いやまさり…ますます増さり…いよいよ増さり…否増さり…嫌増さり」「なる…成る…情態が変わる…(絶頂に成らず否、嫌、厭、に)成る」

 

歌の清げな姿は、女がつよい恋心をうち明けたように聞こえるところ。

心におかしきところは、女の汝具が汝お拒否を告げているところ。

 

この夫婦仲は、たぶん、修復不可能だろう。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百五十六)(二百五十七)

2015-06-19 00:20:06 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 
         
はじめてをんなのもとにまかりて又の朝につかはしける    能宣

二百五十六 あふことをまちしつきひのほどよりも  けふのくれこそひさしかりけり

         初めて女の許に行った翌朝に言い遣った          (大中臣能宣・元服したばかりの頃。後に、父を継いで伊勢神宮祭主)

(逢う事を待っていた月日の間よりも、今日の夕暮れを・待つ間こそ、久しく感じることよ……和合する事を待った突き引の程よりも、貴女の・京の果て待つ間、久しく感じたなあ)

 

の心と言の戯れ

「あふ…逢う…合う」「つきひ…月日…突き引」「ほど…程…程度…間隔…時間…間」「けふのくれ…今日の暮れ…京の暮れ…山ばのの果て」「京…山ばの峰…絶頂…感の極み…宮こ」「けり…気付き・詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、男にとっての待望の初夜を終え、より思いがつのるという率直な感想。

心におかしきところは、男と女の性の格の違いに気付いた率直な、感嘆か、詠嘆か。

 

後朝の文として、女への強い情愛が十分に伝わる。歌は、同時に和合の感想までも述べる事の出来る表現様式を持ていたのである。

 

 

 

                 権中納言藤原敦忠

二百五十七 あひみてののちの心にくらぶれば むかしはものもおもはざりけり

(拾遺集では題しらず)          (権中納言藤原敦忠・父は藤原時平、母は在原業平の孫娘。敦忠は業平のひい孫にあたる)

(夫婦となった後の心に比べれば、独り身の・昔は、これほど・恋しい思いはしなかったよ……合い見ての後の心に比べれば、武樫は・我がおとこは、これほど悩まなかったけどなあ)

 

の心と言の戯れ

「あひみて…逢い見て…結婚して…夫婦となって…合い見て」「あひ…逢い…合い」「見…結婚…覯…媾…まぐあい」「むかし…昔…独り身の頃…ものが武樫だった頃…強く堅かった頃」「ものも…あれこれと…我が物も(自らの弱さについて・おんなとの性格の不一致について)」「おもはざりけり…思わなかったなあ…悩まなかったのになあ」

 

歌の清げな姿は、後朝の歌として、恋しさと、女の不安な思いを慰撫する心が十分に伝わる。

心におかしきところは、充分な和合に至らなかったのだろう、言い訳がましいところ。

 

敦忠は「大鏡」によれば、和歌の上手、管弦などの才能も豊かな人だったが、短命を自覚していて三十八歳で亡くなった。

 

「むかし…昔…武樫…強く堅い」という戯れの意味は、「伊勢物語」の語り出しの言葉「むかしをとこありけり」を(昔、男がいた……つよく、かたい、をとこがあった)と同時に聞く耳を持っていた頃の歌にはあった。「古今和歌集」の歌が「秘伝」となった鎌倉時代より、歌物語の「伊勢物語」も次第に埋もれ木となって、歌の秘密の意味と共に、その語り口のおかしさも消えたのである。

藤原定家は、「百人一首」に、この歌を撰んだ。まだ歌の「心におかしきところ」が聞こえていたからである。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。