情報と物質の科学哲学 情報と物質の関係から見える世界像

情報と物質の関係を分析し、波束の収縮問題、心身問題、クオリア、時間の謎に迫ります。情報と物質の科学哲学を提唱。

ロボットに情報が必要な理由

2019-05-04 18:22:00 | 情報と物質の科学哲学

 ロボットにとって環境の情報を定義し出力する測定器と認識器が不可欠です。
これらがないとロボットは自律的に行動できません。

ロボットは、情報を介して環境とロボットによる相互作用のもとで行動します。
ロボットは、物体から一種の遠隔作用を受けて行動します。
この作用を非物理的遠隔作用と名付けます。

非物理的遠隔作用という用語が的外れでないのは、飛んでくるボールを人が避けるときです。
(1)ボールの物理的作用によって避けるのでなく、
(2)ボールの運動状況から将来を予測して避けるからです。

地上からの指令で制御される人工衛星は、情報による非物理的遠隔作用の典型です。

情報化によるメリット:
 (1)物理量が抽象化されるので異なる物理量に対する計算や学習を共通の仕組みで実現できます。
 (2)情報を利用して環境のモデルをロボット内部に構築できます。
このモデルは、ロボットの行動に必要最小限なものでよい。
どの物理量を情報化するのかの選択もロボット自身が決めます。

環境のモデルは、ロボットにとっての現実世界になります。
ロボットにとって実在するのは情報であって物質ではないとも考えられます。
 
情報化によるデメリットは、入力の物理量の次元が失われるので異なる物理量同士を区別できなくなることです。
これは、ロボットにとって重大な障害になります。

情報化による物理量の次元の喪失(=透明化)は、環境に関する情報の意味が失われることです。
この状況は、認知科学における記号接地問題と関係します。

記号接地問題: 形式的な記号システムに如何に実世界の意味を内在させるか。
(日本認知科学会編 『認知科学辞典』、共立出版(2002))

ファイファーらの自律進化型ロボットは、情報化による環境情報に関する意味の喪失を自らの行動(=経験)によって回復しているのです。

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心と意識を巡る哲学者の非生産的で空しい議論

2019-05-04 17:42:00 | 情報と物質の科学哲学

心身問題、心、意識などに対する哲学者の議論が絶えません。
哲学的議論は、当然のことながら言葉によるものです。

ところで、言葉という概念には本質的に客観性がありません。
何故なら、言葉の使用者によってその意味が異なることが多いからです。
文字で表された言葉自体には客観性があると言えますが、その言葉の意味は
人それぞれで異なります。
言葉の意味は、使用者の誕生以降のもろもろの学習や経験により決まるからです。

辞書にある言葉の意味は編集者の主観によるものであり、あくまでも多数決の
ようなもので定められています。

客観性がない言葉を用いた哲学者の議論は哲学者の主観によるものであり、
その主張には客観性がありません。

ここで、次の命題を考えます:
「私には意識がある。」
この命題は、デカルルトの「われ思う。故に我あり。」と同じ内容です。

意識に関する哲学者の議論はこの命題から出発します。
しかし、よく考えてみるとこの命題は客観的には証明も反証もできません。
つまり、話し手の感想を述べているに過ぎないのです。
そのような主観的性格を持つ「感想」に対して意識があるとかないとか
議論するのは無意味です。

そもそも「意識」という概念は、心理的なものであり本質的に客観性はありません。
「意識がある」「意識がない」というときの”ある””ない”という言葉は主観的なものであり、
それらには客観性は全くないのです。

従って、他人やロボットに対して意識の有無を議論することはナンセンス以外の何物でもありません。
哲学においては真理あるいは真実という概念は成立し得ないのです。
心や意識に対する哲学者の議論は限りなく非生産的で空しいものです。

論理学に通じている筈の哲学者がこのような議論を繰り返すのは不思議です。
皮肉な言い方をすると、哲学者の議論はペダンティック(衒学的)でさえあります。

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情報物質問題とは何か

2019-05-04 17:01:35 | 情報と物質の科学哲学

高等動物やロボットは、情報を利用して行動します。

このとき、
「非物質的な情報がなぜ動物やロボットを構成する物質に作用できるのか」
という問題が生じます
れを情報物質問題、これを扱う科学哲学を情報物質の科学哲学と名付けます。

 生物/脳/ロボット/量子における物質と情報とが関わり合う現象の理解には
この哲学が不可欠です。

 情報物質問題を解決しない限り心身問題を解決できないことは自明です。

情報物質哲学が扱う情報物質問題を列挙します:

(1)物質と情報の関係が見かけ上のものか不可欠なものか
  補足説明: 情報という言葉が遺伝情報のように比喩的な意味で使われるのか 神経情報のように不可欠な概念として使われるのか

(2)不可欠ならその情報を対象の物質的性質との関連で定義すること
 補足説明: 神経情報であれば神経パルスとの関わりどの過程でどのように情報として定義され出力されるのか 情報を物質現象との関連で分析するという視点が従来の脳科学には殆どありません

(3)情報と物質という二元論が成り立つか
 補足説明: 定義された情報がそれと関わる物質現象に還元できるのか並行関係にあるのか

(4)情報が対象の構造や機能に果たしている役割
 補足説明: 情報と物質との関わりという観点から分析すること

(5)情報がどのようにして対象の物質的性質と相互に影響するのか
 補足説明: この両面を同時に強く念頭においた分析は殆どありません 意外なことに量子現象の根本的な理解にはこの分析が不可欠です

(6)コンピュータ/脳などの情報処理システムの物質現象と計算過程/情報処理過程の対応関係

(7)入出力システムで入力の本質的役割はその物質的属性なのか情報的属性なのか

(8)情報と時間/空間の関係

(9)量子力学の解釈問題/観測問題/量子現象における物質と情報との関わり
 
補足説明: 量子現象の測定における情報概念の役割

(10)情報と実在性との関連
 補足説明: 時間/空間は自然界に実在するのか 物理量の実在とは何か

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アインシュタイン 珠玉の人生訓

2019-05-04 16:16:41 | 情報と物質の科学哲学

ジェリー・メイヤーほか『アインシュタイン150の言葉』、ディスカヴァー・トゥエンティワン)
から好きな言葉を引用します:

わたしには、特殊な才能はありません。ただ、熱狂的な好奇心があるだけです。

不運は、幸運とは比較にならないほど、人間によく似合っている。

常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

わたしは、先のことなど考えたことがありません。すぐに来てしまうのですから。

人間性について絶望してはいけません。なぜなら、わたしたちは人間なのですから。

いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできません。

ドイツの諺を思い出します。「人はみな、自分の靴のサイズで物事を計る」。

大切なのは、疑問をもち続けること。

何も考えずに権威を敬うことは、真実に対する最大の敵である。

過去、現在、未来の区別は、どんなに言い張っても、単なる幻想である。

結果というものにだどり着けるのは、偏執狂だけである。

わたしは、心地よさや幸福などを人生の目的だと思ったことは一度もありません。
わたしは、これらを「豚飼いの理想」と呼んでいます。

何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。

わたしは、真の「孤独な旅人」です。


脳科学のハードプロブレム:クオリア(感覚)の謎

2019-05-04 15:05:07 | 感覚(クオリア)
脳科学におけるハードプロブレムの一つに
「脳という物質から何故感覚(クオリア)が生じるのか」
というものがあります。

ある波長の光を見たときに
(1)ヒトの特定のニューロンが発火して
同時に
(2)そのヒトは”赤い”という感覚(クオリア)を感じるとします。
 
他の波長の光を見たときには
(1)その特定のニューロンは発火せず
(2)”赤い”という感覚も感じないとします。
 
このとき、次の法則が得られます:
そのヒトに対しては、
ある波長の光 ⇔ ”赤い”感覚

この対応規則には次のような問題点があります。
”赤い”という感覚自体は言語で説明できないことです。

故に、この法則は客観的/普遍的なものには成り得ません。
 
先の対応関係からニューロンの発火という原因が”赤い”感覚という結果を引き起こすという帰結も得られません。
何故なら、
(1)ニューロンの発火は物質現象であるのに対して、
(2)”赤い”という感覚は非物質的現象であり
両者のカテゴリーが全く違うからです。
 
カテゴリーの異なるもの同士の間に因果関係は成り立ちません。
 
敢えて因果的に捉えたいなら、
ニューロン発火(物質的原因)→”赤い”(心的結果)
という異次元因果律あるいは異次元作用として理解するしかありません。
 
 以上の議論から
「感覚や意識を言語によって客観的に説明することは原理的に不可能」
という結論が得られます。
 
ニューロンの発火現象を物理的に測定しても、
「赤い」という言葉や”赤い”という感覚(クオリア)を確認できないことは自明です。

「脳現象は究極的には物理則で説明できる」
とする物理還元主義は砂上の楼閣です。

測定によって物理量を情報化すると物理量の次元が失われます

同様に、視覚細胞や聴覚細胞が入力物理量の次元を消滅させます。
神経細胞の出力はどれも神経パルスという同一の形式だからです。
 
失われた物理的次元を心的次元として復活させるのが感覚や意識の役割です。
脳は、多様な物理的次元をもつ物理空間に対応して心的次元をもつ心理空間を作ります。

生物は、進化の過程で脳にそのような機能を獲得したものと推測されます。

図式的には次のようになるでしょう:
     (物理的次元)    (心的次元)
     光の波長と強度  → 色彩の感覚
  空気振動の波長と強度  → 音色の感覚

目に入る光の強度とそれに対する視覚的な印象の強さとの間には
ウェーバー・フェヒナーの法則が成り立つことが精神物理学で知られています。
音や温度などに対しても同様な法則が成り立ちます。

しかし、感覚の印象の強さと感覚そのものとはカテゴリーが違います。
前者は量で表現できるが、後者は量では表現できません。

精神物理学的法則が成り立つからといって、感覚そのものを物理的に説明できるとは言えません。

生理物理学の開祖でもあるヘルムホルツは
「神経興奮(ニューロン発火のこと)から、知覚がいかにして生じるのか」
という問いかけをしています:
大村敏輔訳・注・解説 『ヘルムホルツの思想-認知心理学の源流』、
ブレーン出版(1996)
 
ニューロンの発火と感覚とが「どのように対応するのか」は、解明できますが、「何故、感覚が生じるか」は解明できません。

客観的性格をもつ物理則は、原理的に主観的な感覚を扱えません。

ファインマンは、物質現象が「何故」起こるのかを問えない、「どのよう」に起こるのかを問えるだけだと言いました。

物質現象でさえもそうなのです。

遺伝子の核酸の分子構造発見でノーベル賞を受賞したクリックは、
脳神経科学に転向して意識の解明に取り組みました。
大多数の脳科学者と同様に物理還元主義を信じ、何故意識が生じるのかをニューロンの発火現象から説明しようとしました:
クリック、コッホ
 ”意識とは何か”、別冊日経サイエンス123、特集:脳と心の科学(心のミステリー)(1998)

コッホは、日経サイエンス、2011年9月号で
「人工知能の意識を測る」という記事を書いています。
生きているヒトの意識は、ロボットの意識と同じと主張します。
強いAI主義物理還元主義者の思い込みの強さが分かります。

「ニューロンの発火現象を調べれば意識は解明される」という脳科学のドグマは明らかに砂上の楼閣です。

脳の情報処理モデル・ニューラルネットは、パターン認識器やロボットに利用されれいます。
数理モデルの有効性が実証されていることは、神経パルスに実数を対応させて神経回路を数理モデル化する妥当性を裏付けています。

一方、感覚の場合
(1)それ自体を数値化することも言語化することもできないので
(2)この種のモデル化は不可能です。

人工センサーによる臭いの識別が実用化されていますが、
そのことは臭いの感覚を数値化できることを証明している訳ではありません。
感覚と実数とはカテゴリーが違うので感覚そのものを実数で表現することは不可能だからです。

しかし、人工知能研究者はこの事実を無視します。
 
心とは何かについての入門書があります:
土屋俊『心の科学は可能か』、認知科学選書7、東京大学出版会(1986)
心とは何かを心理的状況だけで説明されても禅問答のようで難解です。
まして、心理的状況と脳現象とを絡めた説明は極めて難解です。
 
科学が言語を用いた学問であることを踏まえると、科学による「心」の説明には原理的な限界があります。

心には直観でしか理解できないことが沢山あります。

詳細は、パソコンサイト 情報とは何か 情報と物質の関係から見える世界像 を是非ご覧ください!