情報と物質の科学哲学 情報と物質の関係から見える世界像

情報と物質の関係を分析し、波束の収縮問題、心身問題、クオリア、時間の謎に迫ります。情報と物質の科学哲学を提唱。

量子力学に潜むカテゴリー錯誤の数々

2019-05-10 10:34:58 | 情報と物質の科学哲学
大多数の物理学者は、素朴な唯物論者です。
そのため、下記にあげるような数々のカテゴリー錯誤を犯しています。
物理学者は、そのことに全く無頓着です。
 
 カテゴリー: 「範疇」ともいう。認知過程全般に介在する内的表現の要素。
「概念」との関係では、一般に、内包(所属事例に共通する性質)によって定義する場合に「概念」、
外延(所属事例そのものの集合)によって定義する場合に「カテゴリー」と使い分ける。
すなわち、「概念(意味内容)」が「カテゴリー(事象の分類)」を指示する。
(日本認知科学会編『認知科学辞典』、共立出版(2002))
 
カテゴリー錯誤カテゴリーミス): 二つの異なるカテゴリーを同一のカテゴリーのものとして扱うこと。
例えば、
ヒト(種のカテゴリー)と山田一郎や鈴木二郎(個人のカテゴリー)とを同一のカテゴリーものとして扱うこと。
 
量子力学に潜むカテゴリー錯誤(1)波動像と粒子像の矛盾は物理的錯覚
 
波動関数の確率解釈を提唱したボルンの著書
(三木忠夫訳)『物理学の変革をめぐって』、東京図書、pp.48-49(1973)<BR>
から引用します:
 
量子論の基礎は、エネルギーと振動数が互いに比例するという、プランクの関係(E=hν)にある。
しかし、この”量子仮説”にはもともと不合理な点がある。
(1)エネルギーという概念は一つの粒子(光量子とか電子とか)に関するもので、
  空間的ひろがりのごく小さい物体に関する概念である。
これに対し、
(2)振動数という概念は波動に関するものであるが、
  波動は必然的に空間の大きな領域を満たすものである。
従って、一つの粒子のエネルギーと、一つの波の振動数を等しいとおくこと自体が
全く非合理なのである。
(引用終わり)
 
プランクの関係を非合理としたボルンの考えは以下の理由で間違いです:
E=hνという等式は、
(1)エネルギーと”波動が概念として同じである”ことを意味するのではなく
(2)エネルギーEとhνが”量的に同じ”であることを意味するだけなのです。
 
従って、プランクの関係は粒子が”局所的にあると同時に拡がっている
ことを意味するのではないのです。
 
アインシュタインの有名な式E=mccも同様です:
(1)エネルギーと質量が概念として同じであることを意味するのではなく
(2)エネルギーEとmccとが量的に同じであることを意味するだけです。
 
E=hνあるいはE=mccは「等価式あるいは換算式」として理解すべきものなのです。
 
(1)粒子的性質は、粒子の衝突という物質現象として直接現れますが
(2)波動的性質は物質現象として直接現れることはありません。
波動的性質は、多数の粒子による干渉縞として間接的に現れるのです。
1個のみの粒子では干渉縞は現れません。
 
これらの事実は、電子の波動的性質と粒子的性質はカテゴリーが違うことを示します。
電子の波動的性質と粒子的性質とを矛盾として捉えるカテゴリー錯誤です。
量子力学における波動像と粒子像とはカテゴリーが違うので対立する概念ではありません。
 
ボーアやハイゼンベルクらは、電子に備わる波動像と粒子像とを矛盾すると考えました。
これを解決するために
(1)ボーアは、二つの像を相補的に理解すべきことを提案し(相補性原理)
(2)ハイゼンベルクは、不確定性原理によってこの矛盾を解消できるとしました。
 
しかし、カテゴリーの違うものに対して矛盾する、しないを議論するのは
論理学的に無意味です。
粒子の波動像と粒子像とを矛盾として捉えるのは物理的錯覚に過ぎません。
 
量子力学では次のように関係付けています:
粒子的性質 ⇔ 局所性
波動的性質 ⇔ 非局所性
このような捉え方をするから粒子像と波動像が矛盾するのです。
 
波動関数が複素数であることを考慮して次のように理解すべきなのです:
粒子的性質 ⇔ 物質的局所性
波動的性質 ⇔ 情報的非局所性
こうすれば粒子像と波動像の矛盾は解消できます。
量子の絡み合いも違和感なく理解できます。
 
量子力学に潜むカテゴリー錯誤(2)-波動関数ψの重ね合わせは物質的干渉ではなく情報的干渉-
波動には重ね合わせの原理が成り立つという特異な性質があります。
これを用いると電磁波の干渉や回折現象を力学的に説明できます。
 
シュレーディンガー方程式の波動関数ψも波動方程式を満たします。
量子力学は、二重スリット実験における電子の干渉縞をこの原理で説明します。
 
しかし、電磁波における波動の重ね合わせと波動関数における重ね合わせは本質的に違います:
(1)電磁波の場合には電場および磁場という実体(測定できる物理量)があるので、
   波動の重ね合わせは力学的現象(物理量の加減算)として理解できます。
一方、
(2)波動関数ψは複素数なので対応する実体はありません。
   波動関数の重ね合わせは、単に複素ベクトルの加減算に過ぎません。
(3)更に、波動関数ψには確率的性格もあるのです。
 
これらの性格をもつ波動関数の重ね合わせを力学的に解釈することは全く無意味です。
力学的なイメージを伴う干渉という用語を複素ベクトルの加減算に用いるのは不適当です。
 
量子力学における波動関数の重ね合わせや干渉は
(1)物質的現象を意味するものではなく
(2)量子現象に関する情報の重ね合わせとして理解すべきものです。
 
しかも、物理学者は確率の干渉という数学的に意味不明な用語を平気で用いています。

光が波動であることを証明したヤング干渉実験があります。
これを光子に対して扱うには場の量子論が必要になります。
光子にはシュレーディンガー方程式が適用できないからです:
佐藤文隆『アインシュタインの反乱と量子コンピュータ』、
”光子によるヤング干渉の誤解を正す”、京都大学学術出版会(2009)
 
量子力学に潜むカテゴリー錯誤(3)- ボーアの量子条件に対する「物質波による説明」は物理的虚構-
 
量子力学の教科書に物質波(ド・ブロイ波)を用いてボーアの量子条件を導く説明があります。
世界的名著である朝永振一郎の教科書も例外ではありません。
 
ド・ブロイは、電子の波動性を担う物質波の安定性の概念でボーアの量子条件を導きました。
そのことで”物質波は実在する”と確信しました。
しかし、この説明も量子力学におけるカテゴリー錯誤です。
 
電子軌道が離散的になるというボーアの量子条件を次のように説明します:
円周上の軌道で電子が安定して存在するには電子の物質波が定常波でなければならない。
何故なら、定常波以外の波動は不安定なため減衰するから。
 
これは、非物質的な理由によって物質現象を説明しています:
(1)複素数である物質波が定常波になるから(非物質的原因
(2)電子がボーアの量子条件を満たす離散的軌道で安定して存在する(物質的結果)。
 
この種の説明が正しいのは、電磁波、弦、円板のような物理的振動の場合に限ります。
 
物質波による説明は「善意の偽り」pia fraus;クライン『19世紀の数学』、p.1、
共立出版(1995)でしょうか。
 
量子力学の哲学をやさしく説明した本が出ました:
森田邦久
 『量子力学の哲学-非実在性・非局所性・粒子と波の二重性』、講談社現代新書2122(2011)
 
 観測問題、解釈問題に関する説を多数紹介しています。
 説明が丁寧で数式も殆どないので、文系の人でも読めます。
 科学哲学を関西弁で軽妙洒脱に説明するのも魅力です。
 
この本で非常に不満な点を敢えて挙げると:
(1)「状態ベクトル(波動関数)は本質的に複素数である」ことの説明がありません。
   状態ベクトル(波動関数)に対応する物質的状態が実在するかのような印象を与えます。
   これは、物理学者に共通する認識であり、実にミステリアスです。
(2)量子力学における「波」と古典力学における波が本質的に違うことの説明がありません。
   粒子と波の対立を古典力学と同じ視点で捉えています。
   これも状態ベクトル(波動関数)が複素数であることを説明しないことに依るものです。
 
基本粒子の波が複素波であることを理解しない限り粒子の波動的性質や波動的振る舞いに関する
混乱はなくなりません。
 
 
詳細は、パソコンサイト 情報とは何か 情報と物質の関係から見える世界像 を是非ご覧ください!
 

波動関数のコペンハーゲン解釈

2019-05-10 08:42:19 | 情報と物質の科学哲学
電流のもとになる電子は蛍光版にあたると点状の軌跡を残すので
粒子的なものであるとされていました。
 
ところが、運動量が同じ多数の電子を結晶版にあてると干渉縞が
できることが実験で分かりました。
干渉縞は物質に波動性がないと生じないないものなので、大きな
衝撃を与えました。
 
そこで、ド・ブロイは電子にも波動性があるということを理論的に
予想しました。
これを物質波あるいはド・ブロイ波といいます。
ド・ブロイは、当初この波を実在するものと考えました。
 
シュレーディンガーは、ド・ブロイ波に対する波動方程式を導きました。
ここに登場するのが波動関数です。
この関数は複素関数なので、これが電子という粒子とどう関係するのか
について多くの議論が起こりました。
シュレーディンガーは、波動関数の実在を主張しましたが後にこれを撤回しました。
 
そこで、量子力学を創設したボーア、ハイゼンベルク、ボルンらのいわゆる
コペンハーゲン派は、以下に述べるような解釈を提案しました。
これは、波動関数に対する標準的な見方になっています。

波動関数のコペンハーゲン解釈(1)-確率解釈-
 
量子力学によると波動関数ψの絶対値の2乗は、「指定した位置に粒子が検出される確率」
一般に、「物理量Aを測定したとき測定値aを得る確率」に比例する。
これを波動関数に関する確率解釈と呼びます。
確率解釈は、ハイゼンベルクの指導教授であったボルンによるものです。
ボルン(三木忠夫訳)『物理学の変革をめぐって』、東京図書、p.23(1973)
 
ボーアらは、確率解釈を基本粒子の波動的性質と粒子的性質を結びつけるものと考えました。
波動関数ψは、確率振幅、確率分布、確率密度分布とも呼ばれます。
 
基本粒子の確率的性格は
(1)粒子にもとから備わる性格であり、
(2)測定器の限界/測定誤差や知識の不完全さによるものではありません。
 
ボームらは、この考え方を認めず
(1)量子の確率的性格は量子力学の不完全性によるもので、
(2)量子力学には隠れた変数があり、
(3)これを見出せば、確率的性格は消滅できると主張しました。
これを隠れた変数の理論と呼びます。
 
アインシュタインがこの理論に肩入れしたというのは俗説です:
ヤンマー(井上健訳)『量子力学の哲学(下)』、p.308、紀伊国屋書店(1984)
 
 
コペンハーゲン解釈(2)波束の収縮とシュレーディンガーの猫
 
粒子源から1個の電子を自由空間に送出します。
この電子の状態は、波動関数ψで表されます。
 
電子は送出時には局所空間にあるので、ψも局所的性質を持つ波束で表されます。
この波束ψは、シュレーディンガー方程式に従い時間の経過と共に拡散していきます。
 
波動関数ψは、拡散した空間内のすべての点で値をもちます。
電子が粒子的性質だけを持つ場合、この説明は成り立ちません。
 
(1)電子が検出器板で検出される前のψは空間に拡散した波動関数で表されますが、
(2)電子が検出された瞬間にψは局所的な波束で表されます。
 
コペンハーゲン学派は、これを「検出によって波動関数が瞬時に収縮する」と解釈します。
この状況は、波束の瞬時収縮波束の瞬時崩壊などと呼ばれます。
 
波束の瞬時の収縮は光速を越えるのでアインシュタインはこれを批判しました。
測定した瞬間に波束が収縮するという考えに反論するため、いわゆるシュレーディンガーの猫というパラドックスを提起しました。
 
ノイマンは、「量子現象の測定が観測者の脳の中で終了する」としても理論的に矛盾しないと主張しました。

測定に意識の関与を持ち込んだのです(観測問題)。
この場合、
(1)脳で猫の生死を判定するのは観測者の意識による主観的判定であって
(2)測定器による客観的測定ではありません。
 
客観主義を標榜している物理学者は、主観と関わる観測問題を未だに議論しています。
これは、量子力学のミステリーの一つです。
無用な混乱を招くシュレーディンガーの猫は、一日も早く永眠させるべきです。
 
電子の検出器から検出信号が出力された以降の現象は単なる物質現象ではありません。
何故なら、この信号は検出に関する情報を担っているからです。
このような性格を持つ物質を情報表現物質、この物質に関する現象を情報物質現象と名付けます。
電子の検出器から検出信号が出力された以降の現象は、情報物質現象なのです。
 
物理学は、情報を担う物質という概念を扱うことはできません。
観測問題の混乱は、この事実を無視したために生じたものです。
 
波束の収縮を何らかの実体が収縮すると考えるのは下記のすべてに共通します:
(1)量子力学正統派
(2)アインシュタインら量子力学不完全派
(3)量子宇宙論で再度脚光を浴びているエヴェレットらの多世界解釈派
 
波束の収縮に対するこのような捉え方には致命的欠陥があります。
 
 
詳細は、パソコンサイト 情報とは何か 情報と物質の関係から見える世界像 を是非ご覧ください!