情報と物質の科学哲学 情報と物質の関係から見える世界像

情報と物質の関係を分析し、波束の収縮問題、心身問題、クオリア、時間の謎に迫ります。情報と物質の科学哲学を提唱。

「波動関数=粒子情報波」「波束の収縮=粒子情報の収縮」説

2019-05-11 17:04:37 | 情報と物質の科学哲学
次の事実に注目します:
(1)基本粒子には本質的に確率的性質がある。
(2)粒子を記述する波動関数ψは、粒子の物理量や物質的属性ではない。
(3)ψは、粒子の確率的性質を反映している。
(4)確率は、測定と不可分の関係にある。
(5)測定は、情報を創発する
 
波動関数ψは、粒子の粒子的性質および波動的性質に関する未確定情報を表現する波です。
そこで、波動関数ψを量子情報波と名付けます。
波動関数は量子状態の情報を担うので、実体を連想させる波束の収縮という用語の代わりに
量子情報の収縮という用語を使うことを提案します。
そうすれば波束の収縮についての無用な議論は無くなるでしょう。
 
(測定前) 量子情報波は広い空間における量子状態の確率的情報を担う
(測定後) 情報の収縮により一つの測定値情報が確定する
 
粒子情報波仮説のもとでは
(1)粒子は観測前には未確定情報を持つ物質として存在し、
(2)観測後に確定した情報を持つ物質として存在します。
 
この見方は、アインシュタインがパウリに対して言った
「月は見ていないときには存在しないのか」
という問に間接的に答えています。
 
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コペンハーゲン解釈の欠陥-観測問題・解釈問題は擬似問題-

2019-05-11 09:03:18 | 情報と物質の科学哲学
量子力学の観測問題というのは、粒子を観測すると粒子の波動関数が瞬時に収縮するというものです。
この瞬時の収縮は光速を超えるのでアインシュタインらが痛烈に批判しました。
 
この批判に対して、ボーアらはいわゆるコペンハーゲン解釈を提案して応じました。
この解釈は、現在では標準的なものになっています。

しかし、波束の収縮に関するコペンハーゲン解釈には以下に示すような重大な欠陥が多数あります。
 
【欠陥1】 波動関数を動的かつ因果的に捉えていること:
 
ニュートンの運動方程式やマクスウェルの電磁場方程式の微分方程式は、物理量が空間内でどのように時間発展するのかを決定論的かつ因果的に記述します。
これらの微分方程式は線形なので物理量は時間の経過と共に滑らかに変化します。
 
いま、1個の電磁パルスが空間内に送出されたとします。
このパルスは、時間の経過と共にピーク値を減少させパルス幅を拡げながら伝播します。
 
ある時刻における波形と少し後の波形とは僅かの違いしかないので
「1個の物体が時間の経過と共に少しずつ変形しながら空間内を移動する」
というイメージで理解できます。
 
物理学者は、微分方程式を見ると時間の経過とともに動的かつ因果的に理解します。
これは、物理学者の本能ともいうべきものです。
 
シュレーディンガー方程式も線形微分方程式なので物理学者は反射的に
「波動関数が時間の経過と共に変形しながら拡散する」
という動的かつ因果的な見方に囚われます:
 
1個の電子が自由空間に送出される場合、電子の波動関数を前述のパルス伝播のようなイメージで理解します。
 
しかし、波動関数確率的性格をもつので、注目している1個の電子の状態を時間の経過とともに動的かつ因果的に表すという解釈は成り立ちません。
 更に、波動関数は複素数なのです。
 
確率を含意し、かつ、複素数である波動関数が”空間中で伝搬する”と理解するのは、
あきらかにカテゴリー錯誤を犯しています。
何故なら、確率や複素数は抽象的概念、伝搬するというのは物理的概念です。
両者のカテゴリーは、明らかに違います。
それにも拘らず、物理学者は電気パルスの伝搬と電子の移動とを同一視します。
 
電気パルスの伝搬は動的なものですが、波動関数の変化はパルス伝搬と同じ意味では動的ではありません。
波動関数の変化は、静的なものとして理解すべきものです。
 
確率を願する波動関数は、1個の粒子の状態を記述する概念ではあり得ません。
独立かつ多数の粒子の状態を記述するものです。
この記述は、1個の粒子を動的に記述することはできません。
 
波動関数の時間変化は、特殊相対論の世界線のように静的なものとして理解すべきものなのです。
 
 以上の分析により「測定によって1個の電子に対する波束が瞬時に収縮する」と捉える解釈も無意味です。
波動関数拡散収縮も物理学者の錯覚に過ぎません。
 
粒子源から送出された電子の波動関数は
(1)時間の経過と共に物理空間内で拡散するのではなく
強いて言えば
(2)複素数で表される抽象空間内で拡散するのです。
 
波動関数は、非物質的な複素波であることを忘れてはいけません。
測定によって波束が収縮すると言っても
(1)抽象的な波が収縮することを意味するだけであって
(2)実在する波が瞬時に収縮することを意味するのではありません。
 
それにも関わらず、物理学者は波束の収縮に関して未だに議論しています。
 
波動関数が粒子情報を担うことを踏まえれば、波束の収縮は情報の収縮と呼ぶべきです。
  
【欠陥2】 波動関数が延長性を持つとしていること:
 
観測理論の研究で有名な町田茂は、
『量子論の新段階-問い直されるミクロの構造』、丸善フロンティア・サイエンス・シリーズ(1986)
で波動関数を電磁波のように空間的に移動すると説明しています:
(第3章”観測の問題”、図54「否定的測定における波動関数の進行」から引用)
 
 電子の波動関数は、図54のa→dのように進みます。
 図dが時刻Tに相当し、このときスピン上向きの部分の電子の波動関数は検出装置Dに到達し、
 両者の”相互作用”によって、波束の収縮が起こるのだ。
 
ホイーラーが提案した遅延選択実験やスカリーらの量子消しゴム実験における矢印付きの線図を
用いた説明でも、
(1)そのルートに沿って波動関数が伝播し
(2)検出器直前の位相関係に従って干渉する
と記述しています。
 
このような時空間内でのダイナミックな説明の仕方も初心者の誤解を招きます。
複素数である波動関数は実在しないので、それが前述の線図に沿って伝播して、その後干渉するなどという解釈はナンセンス以外の何者でもありません。
 
遅延選択実験の情報が下記にあります:
谷村省吾”光子の逆説”、日経サイエンス2012-03, pp.32-43
説明図画が丁寧でとても分かりやすいです。
 
但し、この解説でも1個の光子の軌道や波動の伝播を動的に扱っています。
このような理解では、どこまでいっても量子現象の奇妙さは避けられません。
 
広田修『量子情報科学の基礎-量子コンピュータへのアプローチ-』、森北出版(2002)
の26ページにも
「その波動関数はシュレーディンガー方程式に従って運動する」
「量子がそれぞれのルートに沿って移動する」
などの説明がありますがが、これも不適切です。
何故なら、量子力学は粒子の軌道という概念を認めないからです。
 
これらの扱い方は、波動関数に物体のような延長性があることを前提としています。
物理学者は、不可解なことに実在する物体と抽象的な波動関数を区別していないのです。
ここでも物理学者はカテゴリー錯誤を犯しています。
 
教科書や参考書に誤解を与える説明をするのは大いに疑問です。
理解を助けるためというのであれば、せめて注釈くらいは欲しいです。
 
【欠陥3】 波動関数が含意する確率的性質を無視していること:
 
シュレーディンガー方程式は、独立かつ多数の電子集団の振る舞いを記述するものです。
この方程式は
(1)1個の電子の初期状態と最終状態との1対1の関係を記述するのではなく
(2)電子集団の初期状態と最終状態との多対多の関係を記述するものです。
 
【欠陥4】 測定前と測定後との関係を因果的に捉えていること:
 
「測定が瞬時に波動関数を収縮させる」という説明は、次のことを意味します。
(1)測定前: 波動関数の固有状態の重ね合わせ
(2)測定後: 一つの固有状態の実現
のように、測定により(1)→(2)の変化(波束の収縮)が瞬時に起こると
説明しています。
 
しかし、ここで注意すべきことは
(1)の説明は波動関数という非物質的対象に関する記述であるのに対し
(2)の説明は粒子の検出という物質的対象に関する記述であることです。
 
従って、
(1)→(2)を同じ対象の物質的変化として因果的に捉えること自体間違いです。
 
測定という物質現象と波動関数という非物質的なものを因果関係で捉えるのも
カテゴリー錯誤です。
 
以上の分析と波束の収縮に関するコペンハーゲン解釈の欠陥とを踏まえれば、
「波束の収縮問題」「観測問題」は擬似問題に過ぎません。
 
そこで、ライルの「機械の中の幽霊」に倣って波束の収縮量子力学の中の幽霊と名付けます。
波束の収縮は、物理的錯覚による量子力学における裸の王様です。
 
量子力学も主張しているように波動関数は物理量ではないので実在しません。
但し、鬼才ペンローズは『皇帝の新しい心』、林一訳、みすず書房(1994)で
「波動関数ψは物理的実在である」と主張しています。
 
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