観測による波束の瞬時収縮は、特殊相対論と矛盾すると考えられました。
アインシュタインらはこのことで量子力学は不完全であると批判したのです。
シュレーディンガーは、「シュレーディンガーの猫」という思考実験を提示して多くの議論と混乱をもたらしました。
これが観測問題と呼ばれるものの一つです。
ノイマンは、猫の生死を決めるのは観測者の主観であるとしても理論上問題ないことを証明しました。
観測問題に主観を登場させたことで更に混乱が増したのです。
観測問題の本質を明らかにするために次ぎのような単純化した測定モデルを考えます。
(1)粒子源から上向きスピン状態ψuと下向きスピン状態ψdの重ね合わせで表される粒子が出力されます。
(2)スピン検出器は、上向きスピンを検出したときに”u”、下向きスピンを検出したときに”d”と印刷されたカードを出力します。
(3)このときスピン検出器は観測結果を情報化しています。
実は、この時点で粒子の観測に関わる物質現象は完全に終了しているのです。
この事実は、人間は粒子の観測に不要であることを証明しています。
その後、カードに印字された記号からスピンの情報(上向きスピン、下向きスピン)を読み取る時点になって初めて人間が必要になるのです。
カード情報をいつ読み取るかは人間の都合で決まる恣意的なものです。
これも粒子の観測自体に人間が不要であることの理由になります。
従来の議論ではスピン検出器における情報化の過程が完全に欠落しています。
そのことが観測問題に観測者の主観が紛れ込む原因になっているのです。
観測問題は、観測に人間を介在させるために無用な混乱をもたらしています。
物理学者は、測定行為に不可欠な情報化という概念を無視しています。
この事実は、観測問題が擬似問題であることを証明しています。
情報化という概念が不可欠な測定に関わる現象を物理学だけで説明することは不可能なのです。
詳しい理由はブログ”情報概念を利用した物理主義破綻の証明”を是非ご覧ください。
詳細は、パソコンサイト 情報とは何か 情報と物質の関係から見える世界像 を是非ご覧ください!