【てらこや講🇯🇵根本教典】  三代目⚫町奉行 てらこや講●講主 山崎亭●禅無  新鎖国主義者    

Spiritual craftsman [ Zem ] 言葉の彫り師  老舗工房    和⚫モダニスト

  

【 宗教寄席 】 十八  クンダリニー系は危険で社会問題を惹き起こし易い

2019-05-25 |  【 宗教寄席 】

 

 

 わての今までの見聞から言っても、クンダリニー系を標榜するヨーガは危険性が強いというイメージがある。

 なぜかというと、クンダリニー系は俗世間を低俗なものとして軽蔑・否定し精神的に完璧な境地を目指すという傾向が強いからだ。

 所詮、人間や社会や人類の歴史など欠陥だらけな碌な代物じゃないし、自分もその中の一員なんだという認識から始めないと駄目なんじゃないかとも思う。

 

 わても若い頃はハタ・ヨーガや呼吸法やアートマ・ヴィチャーラを相当過激に訓練していた。

 今では仕事・生活が忙しくてたまに椅子に座って瞑想をする位だ。

 今じゃ、瞑想というよりもむしろ妄想や迷走と言った方が実態に近いありさまである。

 

 身体訓練は武道の型を少しする程度である。

 後は週末の散歩程度である。

 

 瞑想系では道教系やタイ仏教や禅仏教などの穏健な瞑想方式の方が危険性が少ないという感じがする。

 

 

 

 


【 宗教寄席 】 十七  不老長寿

2019-05-11 |  【 宗教寄席 】

 

 わてが若い頃に見聞きしていたヨーガ行者みたいな人が何人か居たんだ。

    二人とも60代半ばに亡くなった。

    お二人共、日本では著名なハタヨーガの指導者だった。

 

 二人は不老長寿を謳い文句にしていた。

 一人は歳をとっても若々しいままでいると豪語していた。  

 その人は歳をとると劣化してヨボヨボになって結局、70位で亡くなった。

 

 もう一人は200歳まで生きるなどと豪語していた。

 その人は結局、80半ばで亡くなった。

 

 

 

 

 


【 宗教寄席 】 十六  精神と財政をどう両立させていくのか?

2019-04-27 |  【 宗教寄席 】

 

 

 宗教信仰を持つ者にとって難題なのは、究極的にはこの2つの相反する問題をどのようにしていくのか?   という事に尽きる。

 

 つまり精神・宗教信仰・信念と金・物質・不動産をどう両立させていくのか? という問題だ。

 

 お金や仕事ばかりを目的として追求していっても決して幸せにはなれないのだ。

 かといっても精神的な事柄ばかり求めてホームレスになっても困る。

 

 これらの相反する事柄をどのようにしてバランスをとって両立させていくのかという問題に尽きるのだ。

 

 勉強・仕事・生活・娯楽など何事に於いても節度をもって欲張り過ぎない事。

 ふざけた連中とチャラチャラしていたり、馬鹿な方向に向かっていけば碌な結末にならない。 

 馬鹿な方向に行けば、馬鹿な結末が待っているだけだ。

 肝要な事は自分自身の目的を常に適正に明確に描いておく事。

 それらは年齢や状況に応じて刻々と変化していくだろう。

 

 目的、優先順位、順序を段取りして一つ一つ段階的にクリアしていく。

 何か重要な目的を達成維持する為には、他の部分を犠牲にして切り捨てるしかない状況も出てくる。

 

 


【 宗教寄席 】 十五  宗教家ってのも人間くさい セコくてダサいところがないとね

2019-04-21 |  【 宗教寄席 】

 

 

 わて、若い頃から見聞きしていた日本の宗教家・ヨーガ行者みたいな人々をネットで追跡調査してみていって一つ気がついた重大な事があった。

 

 それは宗教家や聖者で俗を離れた完全な聖者みたいな人程、重大な社会問題を引き起こしてしまいやすいという事だ。

 逆に現世利益や願望成就みたいな俗っぽい宗教家は世間に多少悪影響はあったとしても重大な社会問題は引き起こしていない。

 

 何故かというと、所詮人間社会や国家とは人間のエゴや欲によって成り立っているからだ。

 エゴや欲を完全に否定してしまったとしたら国家社会は崩壊してしまうだろう。

 

 つまり宗教でも健全で正当なエゴや欲望といったものは否定してはならないのではないか?

 

 

 

 


【 宗教寄席 】 十四  精神世界でも盲信はせぬがよろし!  

2017-12-03 |  【 宗教寄席 】



 わて、ネットでラマナ・マハリシや不二元論やヨーガ瞑想への批判が載せられているを沢山読んだのぢゃ。

 それらを読んでみるとまさにそれらの批判は正しいのぢゃ。


 不二元論やヨーガ瞑想の欠陥を見事に指摘しておるのぢゃ。


 ラマナ・マハリシや不二元論などもあくまでそういった見方や視点もあるという参考にしておいた方がよろし。


 自分で違和感を感じたら、自分の直感を信じた方がよろし。


 自分の幸福像や理想像ってのは自分自身が一番よく分っておるのぢゃ。

 
 それはあらゆる動物に本来備わっておる動物的本能といってもよい。


 宗教団体や教祖なども盲信服従する必要はない。

 自分がおかしいなと感じたらその直感に従った方がよい場合も多いものぢゃ。



【 宗教寄席 】 十三  キリスト教の説く原罪

2017-12-01 |  【 宗教寄席 】



 わてみたいな中年になってくると、キリスト教の説く原罪っていう言葉が身に染みて分かってくる。


 人間が生きている事自体が罪悪。

 人間の存在自体が邪悪。


 全くもってその通りだよね。




【 宗教寄席 】 十二  カンボジアの信仰ライフスタイルが面白い

2017-02-07 |  【 宗教寄席 】




 わてカンボジアに長期滞在していたんだけど、よく散歩して住んでいた都市のストリートを殆ど踏破した。

 カンボジアにはアナーキーな訳の分らないモノが多くてとても参考になった。

 
 その中でも信仰のライフスタイルが面白くて参考になるものが多かった。


 ある都市を歩いていたら、アルファベットの看板みたいなのがあった。

 わてはそれがベトナム語である事が分かった。

 TUと書いてあり寺の意味で仏教寺院であるという事が分かった。

 仏教寺院といってもちゃんとした寺ではなく、普通の部屋を寺院みたいにしているだけだった。

 一か月の家賃が30ドル位の安い部屋を3つ位かりて老人の男女3~4人位で信仰共同生活みたいなのをしていた。

 政府公認の仏教寺院ではなく、個人の信者がまとまって共同生活をしているみたいだった。

 
 テーブルに観音菩薩の像が置いてあった。


 半年経って再訪してみたらそのお寺は無くなっていた。



 ある都会から離れた田舎道では、トタンで作ったみたいな安普請の高床式仏教寺院があった。

 高床になっていて階段で寺院に入る。

 仏像とかも自分で作ったような簡易な仏像。


 ベトナム語で書かれたお経がいくつか置いてあった。


 そこには女性の修道士が生活していた。

 ここも政府が管理している訳ではなく個人の信仰みたいだった。


 買い物をしにいく所にも遠くて離れて不便だったが、食べ物を買いに行って窯に炭を入れて自分でご飯を炊いて作ったりしていた。


 わてがその女性修道士に惚れたのはそのライフスタイルね。

 個人で信仰生活をしてしかも生活も自分で維持している姿。


 
 殆どの日本人男性は女性の外見で対応を変えるかもしれないけど、ことわてにとっては髪型だとか化粧だとか服装みたいな小手先の見せかけやテクニックは一切関係がない。


 わてはその女性のライフスタイルそのものに惚れるタイプ。

 後、わての友人のバックパッカーが言っていたんだけど「 その土地のアートが合うか合わないかが大事 」だと言っていたんだけど、わてもその女性とアートが合うか合わないかが肝要。



 他にも普通の家がお寺みたいになっている家もあった。

 外見はお寺の看板があるんだけど、中は普通の家で自分で作ってペンキを塗ったような祭壇だとか仏像だとかあって毎日が楽しそうだった。



 後、カンボジアでは殆どの家の普通の部屋にも祭壇があって仏像や観音菩薩像が祭られ夕暮れ時には赤いボンボリで照らされているのはとても風情がある。



 香港の道士は道教の法事や儀式の時だけ道服を着て儀式を遂行するという。

 普段は見た目も服装も全く普通の人で、他の仕事をしていてお酒を飲んだり戒律も余り守っていないという。





 宗教信仰や寺院も宗教団体だとか政府管理みたいになると構造腐敗を起こし、本来の宗教精神からかけ離れ形骸化した形式主義に陥ってしまう。

 しかも本来の宗教精神を置き去りにして、その形骸化した形式だけを伝統継承するみたいな悪循環に陥ってしまう。

 
 
 個人の宗教信仰に基づいて、家と寺院と生活と仕事と信仰生活とアートが混じって混在する。

 
 これって宗教信仰生活の理想像じゃない?!



 夫婦や恋人が居ても宗教信仰を基礎にした共同信仰生活者みたいな感じ・・・


 


【 宗教寄席 】 十一  わてのジーザス信仰

2016-01-15 |  【 宗教寄席 】



 わてのジーザス信仰を詳しく解説しておきます。

 日本人がキリスト教に抱くイメージは大きく分けて二つある。

 一つは踏み絵などの日本伝統統治者のキリスト教信仰禁止令ともう一つはキリスト教国家・クリスチャンの偽善性だろう。


 日本の歴代統治者達がキリスト教信仰を禁止してきた理由は、恐らく日本人が舶来信仰で日本人の精神が欧米崇拝に侵略されてしまう事を恐れたのであろう。

 もう一つにはキリスト教国家が植民地侵略の道具としてキリスト教を利用してきた事である。

 キリスト教国家とクリスチャンの偽善性について自分なりに解説しておきたい。

 日本人はキリスト教は「 右の頬を打たれたら左の頬を出せ 」などと教えておきながら、クリスチャン達の歴史は戦争と侵略の繰り返しだったではないか? と思う。


 だがキリスト教は旧約・新約聖書を崇敬しているが、旧約聖書というものがくせ者なのだ。

 新約聖書は主としてジーザス・クライストの言行録であるが、旧約聖書ではユダヤ教とつながっているのである。

 ユダヤ教の神エホバはユダヤ人に「 万物を支配せよ 」とはっきり命じているのである。

 又、ユダヤ教には地獄の観念が無い。   

 死んだらおしまいという宗教観である。


 この点は日本の宗教観とは正反対である。


 日本の宗教観では万物に神が宿る。 自然を侵せば自然から報復を受ける。

 日本には科学技術もあるが、自然と調和しバランスを保たねばならない。

 自然や動物を支配するのではなく仲良く共存していかねばならないという宗教観である。
 
 ここに欧米人の偽善性・両面性が起こる。

 表面では聖人君子のふりをしながら、裏では正反対の事をしてきた・・・

 わてがキリスト教・クリスチャンという言葉を使わないのはこの点にあるのじゃ。

 わてが使うジーザス信仰とは、聖書を超えたジーザス・クライスト本来の魂を崇拝しているのである。

 ジーザス・クライストの真の魂は白人支配層によって曲解され歪められ欺瞞の手段と堕してしまったのである。

 今風に言えば消費されてしまったのである。

 欧米諸国は第三世界に宣教師を送り、植民地の民族性を探り、精神を植民地化し、侵略する為の尖兵としてきたのである!!!

 日本の為政者達はこの事に気付いて、キリスト教を排斥してきたのである。


 だが、日本の伝統的宗教観とジーザスの真の魂は矛盾するものではないというのが私の考えである。

 日本の伝統的宗教観はジーザスの真の魂を包容できる程の許容力があると思う。


【 宗教寄席 】 十  これからの宗教観はお好み焼きが如し

2015-12-13 |  【 宗教寄席 】



 わてが思うに、これから必要とされている宗教観ってのはお好み焼きみたいに、自分で選んで自分で調理していくものだと思うね。



 
 社会科学系を忘れていた。

 
 わて、最近になって社会科学系の素養の大切さが分かってきた。

 大馬鹿。

 経営学、社会学、心理学など・・・
 
 だが、これらは学問からじゃなくて、実際に社会に出て自分で理解するもの。

 わてってB型なんで、とかく社会や他人の思惑より自分のやりたい事ばかり優先してきた。

 だが、世の中・他人との関係の中でしか自分の人生も成り立たないのだ。

 特に大人になればなるほど・・・

 そんな当たり前の事も軽視してきた。

 本当に大馬鹿。



 きのう図書館に行って本を読んだんだけど、立川談志さんの落語の本を読んで「 落語ってのは人間の業を肯定するものだ。 」っていう言葉が面白いと思った。

 宗教ってのは人間の業や性を否認しようとするが、人間の業や性など抜き去る事など土台無理なのだ。

 それならば人間の業や性を肯定してしまえばいいってのが面白いと思った。


【 宗教寄席 】 九  コーランの説く地獄とかけてイスラム国家、イスラム教徒ととく

2015-11-01 |  【 宗教寄席 】




 わて前から想っている事があるんだけど、コーランの説く地獄ってのはイスラム国家、イスラム教徒の事なんじゃないかって事・・・

 監獄で一番トラブルを起こし易いのもイスラム教徒。

 日本に来たイスラム教徒は「 日本にはこれといって宗教信仰は無いのに治安も秩序もある。 イスラム国家には信仰はあるのに治安は無いし自爆テロばかり起こる。 何故なのだろう? 」といぶかしがるという。

 わては以前からイスラム教の内ゲバが世界の問題になると感じていたが、遂に日本も対岸の火事では無くなってきたようだ・・・

 ノルウェーのアンネシュ・ブレイビクの危惧は今や全世界の問題となりつつある・・・
                            



 わてムスリム国家から日本に来た人に聞いてみたんだけどイスラム教国家同士の紛争ってのは実は宗教上の聖戦とは全く関係が無く、ただの石油利権の問題が原因だという。

 石油の関税の上下が紛争の原因となっているという!






【 宗教寄席 】 八  アートマ・ヴィチャーラ以外の瞑想システムを探求・構築する必要性

2015-05-07 |  【 宗教寄席 】



 わては、若い頃からラマナ・マハリシのアートマ・ヴィチャーラという瞑想方式を追及してきたが、最近はラマナ・マハリシの教えやアートマ・ヴィチャーラという瞑想方式は日本の一般生活者向けではないという事をひしひしと実感している。


 俗世間を全否定して一挙にニルヴァーナや解放を追及するというのは余りに極端で先走りし過ぎている。


 一般の生活者は、仕事やら金銭やら生活や家族などを抱えているのだが、そういった世俗の事柄を否定してニルヴァーナや解放を目指すというのは現実的ではないし危険が大きすぎる。


 そこで、日本の一般生活者向けの瞑想システム方式というものを開発する必要があるという事を述べておきます。


 ですが、瞑想を志す方々はこのブログを読んで参考にし、自分自身に最も合った瞑想方式を追求し構築するように忠告しておきます。


 何しろ万人に向いた瞑想方式というものは無いのです。

 他の人の体験談などは参考になるとは思いますが、結局は自分自身に最も合った瞑想方式とは自分自身で探求・構築するしかないのです。







 精神世界でも外道・迷信は行くべからず

2015-04-25 |  【 宗教寄席 】



 わては世界の精神世界の実地の状況を調べてきたが、精神世界の中には外道ともいえる修行者達がいる。

 要するに普通の人が行ったりやったりしないような生活様式をしたり修行方法をしたりする人々の事である。


 そういう人の中には本来の精神修行が目的なのではなく、単に他人の注目を集めて利権に結びつける為の自己顕示、パフォーマーみたいな人がかなりの割合で存在するという事である。


 例えば身体のハタ・ヨーガなども常軌を逸した中国雑技団のようなポーズをする人もいる。

 
 だが、ハタ・ヨーガもやりすぎれば身体を痛めてしまう。

 多くのハタ・ヨーギ達は平均寿命も行かない内に死んでいってしまっている。

 年をとっても無理な姿勢や呼吸法を続けて、西洋医学を軽視しているような人が多い。

 
 自分の経験から言っても、ハタ・ヨーガや呼吸法などはやり過ぎれば身体を壊してしまう。

 
 瞑想しやすい身体状況を作り出す事が目的なら初歩的な簡単なポーズを少しするだけで十分であり、やりすぎれば年をとってから後遺症が残ってしまうだけだ。


 又、タントラ・方中術・クンダリニーヨガなどもそうである。


 そういう修行をすれば超能力がついたり、超人になったり、不老長寿になるだとか、輪廻転生から完全に解脱できるだとか・・・

 
 そういった謳い文句は全て迷信といってもいい。
 

 つくづく迷信で人生を空費・無駄にする事のないように善意から忠告しておきます。

 
 要するに普通の常識的な生活の中で普通に信仰生活をマイペースで続けていけばいいのです。


 これがわてが精神世界を20年以上研究実践し、色々な国の信仰生活様式を見てきたわての結論であります。




 世の中の殆どの部分はエゴ・嘘・虚構で成り立っている。  宗教の分野も又同様である。
































【 宗教寄席 】 七  宗教の分類    順応型と闘争型

2012-04-03 |  【 宗教寄席 】



 観念形態は次のように分類できる

 
 順応型宗教  争いを嫌い、周りに順応して流される                 仏教・道教

 闘争型宗教  権威・権力側と争っていく                      ユダヤ・キリスト・イスラム教


 現世を捨てて死後の天国を重視する宗教                       キリスト・イスラム・戦前の国家神道


     現世を軽視し、死後を重んじるタイプ




 
 現実逃避型宗教  現実社会から離脱して逃げてしまう     だがあるのは破滅だけ   ヨーガ



 無神唯物型  宗教は信じない、現実社会・現実生活・常識的な生き方         資本主義   社会主義   共産主義

 生活型      労働・物質・金銭を絶えず積み重ねていく             資本主義   社会主義   共産主義  物質主義

 精神主義   物質・現実社会より精神的価値を重んじるタイプ              思想戦士   文芸人





 瞑想と祈り      東洋は瞑想系     西洋は祈りが多い。


 
 この分類から見ると、日本の宗教はとても独特。    神道は自ら作り出す宗教。   創作型宗教とでも呼べる。  祈りだが、日常生活も労働も重視する。 





 私の幸福・楽しみ・希望観

 幸せと楽しみと希望     幸せも楽しみも希望も無い。   あるのは労働と闘争のみ。    労働し続ける姿、闘い続ける姿こそ幸せであり、楽しみであり、希望なのだ。




 結局、理想的なのは聖俗併せ呑む度量のある人。   世俗の恥や汚れをもかぶる事ができる。





 
 友人達のコメント


  マレーシアの客家系華人   観音信仰

 「 神様に依存しすぎるのはよくない。 時には自分自身の努力によって人生を切り開かなければならない。 例えば、鶏肉が欲しいと思ったって、誰も持って来てはくれないでしょ。 ここに神様が現れてくださいなんて言っても多分現われてはこないでしょ。   クリスチャンやムスリムの中には迷信的、狂信的過ぎる人もいるからね。 」


  デンマークの無神論者。  彼にとっては、ビールをジョッキで4杯から10杯飲むのが天国。

 「 人生なんて蚊を叩き潰すようなもんで、死んだら御仕舞よ。 赤(共産主義、社会主義)なんてみんなダメになっているじゃないか。 カトリックやイスラム教なんて金の為に戦争をしている。牧師が男の子をおかしている。 佛教なんざ、床の上に座って蛙みたいにお経を唱えているだけだ。  民主主義が一番いい。 」



  中国ウイグル出身の大学生

 「 宗教に興味があるのですか?  私はウイグルのイスラム教地区の出身なんですけど、  とても・・・ 信じられない。」



  労働者をしてきた老人の貴重な御意見
  
 「 観念ってのは必要かもしれないけど、信念なんて捨ててしまえ! って言いたいよ。 信念なんか捨てて周りに同化してしまえ! って言いたいよ。」



 マレーシア人   沢山の人種の混血  日本の血も混ざっている     20年前の日本人みたいな風貌    沢山の言葉を話せる


 「 タイ南部のイスラム教徒の反乱は、中には魂を持って本当に精神の為に闘っている人もいる。 仏教僧でも反乱はしないけど腐敗しきっている人々も多い。 だから判定するのが非常に難しい・・・ 」




    

 なぜ、宗教信者に気違いが多いのか? に関する議論

  
  フィリピンのクリスチャン

 「 自分で読んでいる聖書と言っている事と実際にしている事が喰い違うから狂ってしまうんだ・・・ 」

  
  私の意見

 「 一生涯に亘って、同じ本ばかり読み続けているとああなっちゃうんじゃないか? 」


  他にも客観性より主観性を優先させてしまうという理由も考えられる。













【 宗教寄席 】 六  ドラッグにまつわる問題

2012-03-28 |  【 宗教寄席 】





 現在、ドラッグにまつわる問題は全世界で想像以上に深刻である。

 ドラッグ問題を深刻にしている理由は、元来ドラッグと薬と毒は同じようなものであり、既に社会生活の隅々まで行き亘ってしまっているものであるからだ・・・

 
 現代生活は化学物質なしには成り立たないのである!


 芸術でも既に多くの文芸人がドラッグに頼っていた事も公然の事実である。



 ミュージシャンではビートルズのジョン・レノン、 ニルヴァーナのカート・コバーン  など多くの人がドラッグ常用者であった。


 ジョン・レノンなどはヘロイン、LSD を多用して音楽活動に利用していたという!  


 世界中の人が、非合法ドラッグ中毒者の音楽に熱狂していたという驚愕すべき事実があったのだ!  



 つまり、現代世界はどこもかしこも既にドラッグ漬けで成り立ってしまっているのである!


 
 この事がドラッグ問題を深刻にしている原因である。


 体制側は当然取り締まらねばならないが、合法・非合法の問題でしかない。



 たばこは一度ニコチン中毒になると止めるのがとても大変。

 アルコールは自動車で事故を起こしやすい。



 人々がドラッグに手を出すのは、生活が退屈でつまらないという理由からだろう・・・




 薬については、現在の薬は昔の薬の比ではない。    薬はとても進化している。   錠剤は水に入れると泡が出て自己分解を始める。   

 最近の薬に比べると昔の薬など 気休めのおまじない みたいな感じである。





 友人のドラッグに対するコメント

 
 「 ドラッグなんて良くもなんともないよ。  ただ頭が痛くなったりおかしくなったりして、もっともっとと欲しくなる。 」


 薬について


 「 アヘンからモルヒネができる。 モルヒネからヘロインが合成される。  モルヒネってのは麻酔薬で手術時に使うと痛みが軽減される。   つまりは使い方の問題だ。  ちゃんと適度にコントロールして使えば人類の益となる。   アヘンやヘロインってのは一度手を出すと止めるのが大変だ。   手を出したら未来は滅茶苦茶になる。   人体に元々備わっている抵抗力も弱まってしまう・・・   」

 「 薬ってのは、食べ物や飲み物と同じさ。   多く摂り過ぎれば害となる。  必要な分だけ摂れば益となる。  食べ物や飲み物だって摂り過ぎれば害となる。   簡単な道理だろ?!」





 以前の私は、化学物質が嫌いでナチュラル派だったが、現在はむしろケミカル漬けの生活になってしまっている。














【 宗教寄席 】 五  タイ仏教  About Thai Buddhism

2012-03-25 |  【 宗教寄席 】

 



 タイ仏教に関するトピック


 タイの仏教・瞑想に関する文献を読んでいたら面白い文章があった。

 瞑想の目的はニルヴァーナに達する事でも、欲望を根絶する事でもない。

 瞑想の目的は心をきれい、静かにするため。

 瞑想で得られる世界・輪廻・匂い・味・性欲・形・音から独立し影響を超えた心の静けさこそが幸せ。

 タイでは、サゴップ(静けさ)・チャイ・イェン(冷めた心)という心の状態が幸福で求めるべき状態だという。

 因果関係    瞑想で、静けさが得られる。その静けさこそが幸福である。



Topic about Thai Buddhism


When I was reading the book about Thai Buddhism and meditation, I found fascinating sentences.

The purpose of meditation isn't to eradicate desire nor to attain nirvana.

It is to make the heart clean and quiet.

The mental state attained by meditations, which is indipendent and beyond influences of the world, metempsychosis, smell, taste,sexual desires, shape and sounds is happiness.

Thai people say that the mental state of sagop (the quietness)or chai yen (cooled mind) is happiness and the state which is to be sought.



The relationship of cause and effect.

Meditation bring us the quietness. And that quietness is happiness.









 欧米人がタイの寺院で一時出家したが、タイ人達は見下したような態度をとるという。 「 白人にタイ仏教なんて理解できるはずがない。 」と差別を受ける。



 タイ人は大国意識が強くなってきている。   現在のタイ人達は金、金、金になってしまっていて「 バンコクは人間の住む所ではない。 」と言われる程になってしまった。




 瞑想    

 わては今はもう怖くて瞑想できない状態。 

 ちょこっと祈るだけ。  

 瞑想に関してはインド・タイの婦人・庶民に学ぶ必要がある。   

 インド・タイの婦人・庶民は寺院やアシュラムの瞑想室に行って瞑想しても、10分から15分も経たない内に出て行ってしまう。   

 この位でいいのだ。   

 ふだん仕事や生活をしていたら瞑想なんてそれ程やっていられないし、この位でいい。