(この小説はフィクションです。)
時代はバブリー世代 超巨大ディスコ、ジュリアナズ・トキオや小室の音楽が街角に流れていた。
「 誰もが一夜の夢を見ている 教科書は何も教えてくれない 」
その頃のサラリーマンは今で言うエグザイルスの様な風体・風貌をしていた。
OL(オフィス・レディー)達はワンレン・ボディコンというファッションをしていた。
今の若い人がみたらヤクザや芸能界の人と見間違えるような格好をしていたが、その頃はそれが普通だった。
喫茶店では精力的なサラリーマンがモーニングセットを頼んで、週刊BIGという雑誌の「 東京に自分の城を持つ 」特集を読んでいた。
普通の庶民の中高年が証券会社の女性と株価の話を毎日のように電話していた。
マスゴミでは竹村健一が「 今、投資しない奴は人間じゃない。」、 コマーシャルでは竹村健一が手帳を持ちながら「 私なんてこれだけですよ。これだけ 」などとほざいていました。
智樹はそういった風潮を見ると、戦前の日本の風潮とそっくりダブって見えました。
戦争に反対する人は非国民の烙印を押され、大本営発表で連戦連勝と報道されていたのと全くダブって見えたのでした。
数年後には普通の庶民が500万・1000万・1500万損したという話が巷でゴロゴロ転がるようになった。
そんな時代風潮の中で智樹は全く自分の精神的居場所が無かった。
智樹はいわゆるバブルの資本主義社会という風潮にまるでなじめなかった。
智樹は日本の伝統的価値観を重んじる保守的な青年だった。
バブリーな会社員とは全くそりが合わず、かといってチャラチャラした若者達とも合わなかった。
大学の友人達は大学でいい成績いい単位を取って給料のいい会社に就職したい、というような大学生ばかりでまるでそりが合わなかった。
憧れるような人物像や将来のイメージが全く思い浮かばなかった。
何を見ても何を聞いても気に食わなかった。
テレビを見ても愚劣な番組の垂れ流しばかりでスイッチを切った。
上野公園ではイラン人達がテレフォン・カードを売っていた。
智樹の耳にはその当時既に日本国家がガラガラと崩壊しはじめる音が聞こえているかのようだった・・・
―――― 劇終 ――――