冨田勲氏といえば、音楽にシンセサイザーをいち早く
取り入れた人だ。
今でも、モーグのシンセサイザーをバックにした
LPのジャケット写真を思い出す。
しかし、当時クラシック少年だった私は、シンセサイザーを
正当な楽器としては認めていなかった。
当時発売されたばかりのファミコンのお化け、くらいの
認識だったのだ。
今でもシンセサイザーよりは自然の楽器、という感覚は強い。
しかし、冨田勲氏をすごいな、と思ったのは本業の
作曲でのことだった。
大好きだった特撮「マイティ・ジャック」の
テーマソングを作曲していたのだ。
子供向けの番組とはいえ、そのスケール感がすごい。
オーケストレーションが見事だったのだ。
今でも、聞くとワクワクするよ。
しかし当時数千万したシンセサイザーでも、今のPCで動く
ソフトシンセより性能は下だったらしい。
昔のシンセは外面はデジタルっぽいが、実は内部はアナログで、
水晶発振のクロックをコンデンサーとか抵抗で、なんとか
いろんな波形にしていたらしい。
シンセサイザーというと、血管のようなケーブルが私の第一印象だ。
実は、シンセサイザーは「発振部」「波形部」「ノイズ部」
とセクションが分かれており、どの発信器の信号をどの波形(サイン波など)に
入れるか、出てきた波形にどんなノイズを乗せるか、ケーブルで
つないでいたのだ。
それが今ではワンクリックだもんね。
技術の進歩は恐ろしい。
でも、我々のようなものでも手軽にDTMを味わえるように
なったのは良いことかもしれない。
おまけ
今だに「駅すぱあと」って売ってるんだな。
何でもスマホで調べられる時代なのに。
何で稼いでいるんだろう。
車がメインの田舎者の私には関係ないソフトだが・・・
近くの小学校から運動会の練習の鼓笛隊の音楽が流れてきた。
当たり前の事を言うが、校歌って変わらないんだな。
40年以上前、自分が演奏したのと同じ。
しかし、アレンジくらい変えろよ。
まったく同じというのは、手を抜きすぎ。
我が母校の校歌は作曲者が気合いを入れすぎて、
音楽の先生でも前奏が弾けないという、情けない状態だった。
新任・転任の音楽の先生のまず最初にやる作業は
校歌の練習だった。
高校時代の母校、福島県立喜多方高等学校の校歌は
どこかの旧制中学の応援歌あたりをパクったらしい。
だから、母校が甲子園で勝利したら日本のどこかで
ざわつく所があるわけだ。
まあ、そんな心配はないと思うけどね。