風とカモメの街に暮らして

海外生活、20年、シニアの生活を綴っています。                   

認知症の叔母に会いました。

2024-05-08 23:19:09 | 日本に帰国中

先日のブログで、温かいコメントや、アドバイスをいただき、本当に感謝しています。
有難うございました。皆様のコメントやアドバイスが心に染みました。

1年に1回、日本に帰った時には、母方の親戚(一番、若い年齢の叔母)に電話していた。
母に一番近い年齢の叔母は、もうすぐ90歳、夫を亡くし、何年か前から認知症になり、今はケアホーム(有料老人ホーム)にいる。

私は今年は、思い切って、そちらに訪問してもいいかと聞いた。
返事は、いいよとのこと。認知症になった叔母もつれてきてくれるとのこと。
皆に長いこと会っていないので歓迎されるかどうか、不安だった。

長い間、母のお葬式の時以来、親戚の誰とも会っていなかったので、今更と思ったけど、子供のころは家族のように仲良くしていた母の妹3人(私の叔母)、そして母の弟(私の叔父)は、子供のころ、私と弟をよくアイススケートや、ボーリングなどに連れて行ってくれたものだ。
生涯、独身のままだった叔父。
淋しい人生だったろうな。今も不思議に思う。
性格も悪くないし、仕事もまじめにする叔父が何故、結婚できなかったのだろうと。

私が生駒に住むその叔母のところに行くと、他の兄弟姉妹(私の叔父叔母)も来ていた。
私が来るというので、呼んでくれたそうだ。
一番、会いたかったのは、認知症になったという90歳になる叔母。
一番若い年齢の叔母が、車で、迎えに行って連れてきてくれたそうだ。

玄関を開けると、あと一年で、90歳になる叔母が出てきた。
私のこと、忘れてるかなと思ったけど、「〇〇ちゃん!〇〇ちゃんやね?」と言ってくれた。
お互いハグし合って、叔母は手をしっかり握りしめてきた。
そして、涙をぼろぼろ流して。
私も思わず、泣けてきた。
長い間、訪れることもなく、申し訳なかったという気持ちも、こみあげてきた。

認知症になった叔母がこんなに喜んでくれるなんて。
皆で、話してても、叔母は耳が遠くて聞こえないようだったけど、嬉しそうに笑っていた。
ホームでは誰とも会話することないそうだ。
昔から、我慢強い性格だった叔母。
淋しいのも我慢してるんだろうな。

認知症とはいえ、私に「〇〇ちゃん、あんなに頼りなかったのに。」
「そうそう、私って、本当に頼りなかったよね」
昔の私のことを、良く覚えてる(笑)

耳が遠くて殆ど聞こえないということもあるのだろう。
私にも同じ質問を何度も何度もしてきた。
「今、どこに住んでるの?」「子供は?」と、何度、同じ質問をされただろう。

それに彼女は、私の息子が今も、まだ小学生だと思い込んでいる。
それでも、会えてよかった。喜んでくれてよかった。
覚えてなかったらどうしようと思ったけど。

短い時間だったけど、一緒に過ごせて、良かった。
お別れの時は、また叔母は泣いて、お互い手を握りしめて、バイバイした。
今度、いつ会えるだろう。
来年、また会えるだろうか?
思い切って、訪ねて来てよかったと、つくづく思った。

来年も、また訪ねようかな、という気持ちになった。
私と会うことで、こんなに喜んでくれる人がいるなんて、私も嬉しい。
泣いてる叔母を見るのは、ちょっと辛かったけど。
元気でいてね。また会いに来るからね。

各駅電車に乗って、日帰りの旅のようだった。
空いていて、車窓からの眺めを楽しむこともできた。









冷蔵庫の中身を整理しないといけない。残り物を使って、食べ物が余らないように。



久々にピアノの曲をUpしました。
Someone to watch over me

https://www.youtube.com/watch?v=X8hh1CT_XM0



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