元旦に起きた能登半島の大地震、
よりによって元旦に起きるなんて、もしかして、お隣のC国が、海底に原子爆弾を爆発させて地震を起こしたのかとおもったくらい。
でも、この大地震は、地震兵器で、起こせるほどの規模ではないらしい。
1995年、そして、2011年、そして2023年、こんなに、頻繁に大地震が起きるなんて、私が若い頃には、想像も出来なかったことだ。
日本の家には、殆ど備蓄や災害用品を用意していない。
一昨年は、1階の寝る部屋を改装して、壁に筋交いを入れてもらい、天井、床なども強固にしてもらったけど。
そして、昨年は、瓦屋根を取り壊して、スレートの屋根にしてもらった。
瓦屋根の下には、何とも、すごい量のがれきが、積まれていた。
どおりで、去年亡くなった、90歳の大工さんが、地震対策で、屋根を軽くすることだと言われてたはずだと思った。
寝る部屋の改装と屋根を軽くして、少しだけ、安心材料は出来たけど、地盤の緩い土地に建つ古いボロ家、すでに、かなり傾いているので、地震が起きたら、絶対に潰れると、地震診断士にも言われた。
引っ越ししようにも、それだけのお金もないし、年に1回、2か月ほど帰るだけだから、と思っていたけど。
まるで、ロシアンルーレットのように、どこで、いつ、起きるかわからない大地震。
特に、南海トラフが起きたら、日本は世界で最貧国になるという。
恐ろしい!恐ろしすぎる!
そのことを考えると、恐怖で、気が滅入って来て、どうしようもない。
かと言って、日本には帰りたい。やはり、一年に1回は帰りたい。
いろいろな用事もあるので、帰らないといけない。
お風呂にも入りたいし、日帰り温泉にも行きたいけど。
地震を経験するくらいなら、シャワーで、我慢する方がいいに決まってる。
災害用品で、特に用意しないといけないのは、Disposableトイレ、ありとあらゆる必要なものが思いついてくるけど、家が崩れたら、備蓄の食料品や水を準備していても、取り出せない。
新しい強固な家に住んでいれば安心だけど。
避難所生活は、すごくストレスになりそうだ。
寒さと飢え、それよりもトイレが、特に私はトイレが近いので困る。
今、考えていることは、日本に帰っている間、レンタカーを借りようかと思っている。
もし大地震が起きて、避難所生活になったとしたら、水や食料品を少し車に入れて置いて、車で寝泊まりすることも考慮している。
近所に、友人もいないし、頼れる人は一人もいない。
奈良に住んでいる友人に、もし地震になって、家が崩れたら、泊めてくれる?と聞いてみたら、
「ええよ」と言ってくれた。
彼女は二世帯住宅に住んでいて、今は親世代が亡くなり、広い住居、そして阪神大震災以降に建てられた家だから、大丈夫だろう。
でも、その時になってみないとわからない。泊めてくれるかどうか?
東京の元夫の姉や、北海道の友人なら泊めてくれるかもしれないけど、遠いので、地震の後はすぐには、どこにも移動や、避難はできないだろう。
イギリスに帰りたくても、飛行機が飛ばない可能性もあるし。
巷のYoutuberは、2024年、2025年に大地震が起きるとか、預言者が、日本の大災害を予言しているとか?ちょうど、大阪万博の年ではないか?
万博?!そんなお金があるなら、能登の地震の被災者に、そのお金を使えばいいのに。
私も、少ないながらも、能登の被災者に寄付(赤十字を通して)させてもらった。
しかし、テレビのニュース映像を見る限り、能登の人々(主にお年寄り)は、なんて我慢強いのだろうと思ってしまう。自衛隊の人々にも頑張ってもらいたい。
地震が治まって、復興したら、北陸に蟹を食べに行きたいものだ。
その時は、秋から冬に帰る予定だけど、冬に地震が起きると、寒さと飢え、より一層、恐ろしい気がする。今までの地震は、大体、寒い時期に起きてるからね。
最近、描いた水彩画、絵を描いている時は、心が穏やかになれる。
今、私に必要なことだ。精神を正常に保つためには。
このところ、寒くて、近くの池が凍っている。
鳥たちが餌をもらいに、集まってくる。
今夜は、ポテトグラタンにした。温まっていいのだけど、ヘビーな感じ。マカロニグラタンの方が、やっぱり、あっさりしていて美味しいかも。
でも、被災した人々のことを思うと、暖かい食事が出来て本当に有難いことだと、つくづく思う。暖かいシャワーを浴びて、暖かい布団に眠れることの幸せを思う。
贅沢はしなくても、普通に暮らせることの有難さを思う。
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