なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

言葉遊びかも知れないが

2007-04-09 00:27:24 | Weblog
 昨日「潅仏会」の話をしましたが、この件に関連して
 前の勤め先に常備していた大型の辞典の最後の方にいろんな知識を整理してあるコーナーがあります。
 こういう部分を読むのが好きなので、あるときコピーをしておいたのですが、偶々鞄の隅から出てきました。
 干支・二十四節気の説明で
  清明=4月5日頃・・・この語感が好きですね、いかにも過ごしやすいという感じです
  花祭り=4月8日・・・間違っていなかった。
 季語一覧という表のコピーも出てきました。
  これは春のところしかコピーしていません。
 「甘茶」「仏生会」「花祭り」皆春の季語です。
  中には難しい季語がある「蛙の目借り時」・・・要するに眠いのでしょう
 「鷹化して鳩となる」・・・春のうららかな様子らしい。
  こういう雰囲気で分かる、言い換えみたいなものでしょうか。
 それと春の季語にはさすがに花とか貝とかが多いのですが「柳絮」というのに少し憧れがあります。
 ”柳の実が熟して春先に飛ぶ綿のような種”とあります・・・が、これは本の知識でいうと中国の話にはよく出てきます。
 しかし、日本の俳句の季語にあるということは、日本でもどこかで飛んでいるのでしょうね。
 TVでは中国のものを見たことがあるけれど、自分の目ではまだ見ていませんから、何だか憧れみたいなものを感じます。
 このアレルギーは聞いたことが無いので大丈夫なんでしょう?

 さてコピーはもう一枚
  「数え方と序数詞」というタイトルがついています・・・マア厳しい名前ですが要するにものの数え方とか、ものの呼び方です。
 私は割合こういうことに拘りがあります
そこで囲碁・将棋について
 将棋:一局・一番・一戦・一勝負 (盤)一面(指し手)一手
 囲碁:一局・一番・一戦・一勝負 (盤)一面(指し手)一手(目数)一目となっています
 違うのは一目というところだけで、これはゲームの内容からしかた無い。
  ところで、その他の部分は全く同じで良いのだろうか?
 私は昔初級者の頃に教わっていたK藤囲碁将棋道場ではこのようには教わらなかったのです。
 先生が言うのには将棋は「一番」囲碁は「一局」でした。
  「よく混同している人がいますが、きちんと区別するように」と言われたことまで憶えています。
 先生は元プロの将棋棋士だったのだから、私としてもこういうことに全幅の信頼を置いています。
 だから、この辞典のように全て同じというのは違和感があるのです。
  いつものコミュニティの囲碁・将棋の部屋で将棋を一局と言い、囲碁を一番と言ったところで意味は通じるのですから、区別が曖昧な人もいる。
 但し、辞典でこういう風に出ているとなると、私が拘りすぎということになるのでしょうか?
  それとも編集者にはそこまでの拘りがなかったのか?
 どうやら編集者は囲碁・将棋とは縁が少ない人のような気がする・・・というのは、ここには出てこないのだが「将棋」:指す「囲碁」:打つの区別が書かれていません。
 どうでもいいようなことなんだけれど、言葉の使い方が違うと違和感があって、座り心地が悪いのに似ています・・・こだわり過ぎなんでしょうか