「男の子は泣くんじゃない!」は「武士は食わねど高楊枝」などみたいなイメージと一緒に子供の頃から、頭に刷り込まれてきました。
”武士は”と言っても生まれたのが団塊の世代ですから戦後、要するに江戸はおろか明治も遠くなっているのですから当然”武士”は無いのですから、母はそこのところを「男の子は・・・」と言い換えたみたいです。
男の子が泣いてもいいのは、親が死んだ時だけだというようなことで・・・
でも心の中では”そういうものか”と変に納得する部分と、”武士とは言っても家は末流の末流で、本家自体が郷士格だから”という気分と”そういう母さんだって元は百姓の家でしょう?”と反発はしていた。
具体的に言うと、表で悔しいこと・例えば大勢相手に喧嘩して負けたとしても、泣きながら家に入ることは許されないとか、自分の欲求の為に他人に醜態を見せることとか・・・意地汚く物を欲しがってはいけないも入る。
当時住んでいたのが港町だから、時折アメリカ軍の艦船が入港する
こういう時波止場に軍艦を見に行くと、高い甲板から水兵さんがチョコレートとかガムとかを撒くときがある・・・まさにこういうときは「武士は食わねど高楊枝」で、撒かれたお菓子をチラとも見ずに無視して、ネイビーをがっかりさせなければならない。
チョコやガムが嫌いな子供はいないでしょう、だから他の子供からは変な奴・素直にくれるものは貰えば好いのにと思われていたでしょう。
これは、人を押しのけてでも前に出るようなことも含まれていますから、長い人生の中では”損をした”様なこともあった。
例えば電車とかバスに行列して乗るとき、イザ乗る段になって押しくら饅頭をして乗り込むくらいなら次の電車にする・・・そういうときは頭の中にこういう言葉が蘇っていて自分を見ている自分を意識して苦笑いしたものです。
数に限りのある物が配られる時に争奪戦に参加する気にはならない・・・
この頃の癖が残っているだろうか、どこかへ出かけるとき充分に時間の余裕がないと落ち着かない・・・余談です
尤も「親の死んだ時だけは泣いても良い・・・」というその時に泣かなかったのは皮肉といえば皮肉で、かなり冷静に受け止めていました。
どちらも予定されたというか、事前にわかっていたような形で、突発的ではなかったこともありますが、個人的に言うと”湿っぽい葬式は大嫌い”。
だから悲しみに暮れたお葬式ではなくて、”昨日の続きが今日”みたいな・・・
個人と繋がりのある人が集まってお茶でも飲んで話をする会で良いのではないかと思って実践しようとしている。
マア長男(兄)にしたらそうもいかないらしく世間並みと考えるらしいけれど、私は次男で末っ子の特権を生かして”カラリ”とした葬儀になるように振舞っている。
ひと様から見ると冷たい人間に見えるかもしれません・・・それに両親の葬儀だから出来たということです
私自身の場合も、知り合い縁者・友人が集まってお茶でも飲んで、思いで話など盛り上がれば最高!
更に記念になるものなど持って行って使ってくれたら更に好い。
さてさてその通りやってくれるかな? またまた余談。
そういうことだから、自分を思い切って出せるのがスポーツとか囲碁将棋の勝負事で、チーター的な手段はともかく正々堂々となら思い切ってやれるのが良いです。
逆にここでは精一杯やるのが礼儀みたいなもので、中途半端ではかえって相手に失礼。
マナーとルールの範囲内なら遠慮なく戦うことが出来るのですから、見方によっては日頃の鬱憤晴らしかも知れないのです。
突然話が変わります・やっとこのブログの本題へ
週末を迎えて。金曜の夜からネットの囲碁三昧と張り切っていた。
しかも心の中に「暴走して大連敗しないように」ブレーキまで準備していたのに
それで、いきなり対局に入って「つんのめり気味」にならないように、まずは人様の対局の観戦から始めた。
これは本当なら定石的な段取り
ともかく滑稽なほど慎重です・・・
これが大失敗というか・もしかしたら大正解!?
同じくらいの点数の人同士で始まったばかりの「序盤」を選んで入室、「なかなか面白い碁だな」と思いながら見ていた・・・見ていたはずなのに、気がつくと表は明るくなりかかり小鳥が鳴いている。
天気予報どおり穏やかな日になりそうなのは嬉しいけれど・・・パソコンの画面は暗転している。
パッドを擦って画面を出すと、当然の事ながら対局は終わっていて対局室は私一人が居残りでした。
観戦し始めたのが日付が変わった辺りですから、かれこれ5,6時間目を瞑って観戦していたことになる。
対局は終わっているしかなりの時間が経っている、そこまで熱心に検討をする人はたぶんいないから、居眠りどころか熟睡なのはミエミエです。
それはともかくせっかくの週末・金曜日の夜を損したみたいな気がしますが、週日やはり気が張っていた分疲れが溜まっていたらしい。
ということは実戦に及んでいれば、目には見えないものの相当なハンデを抱えての対局になっていたかも知れません。
但し、この休養で疲れが取れていつものようなだらしの無い負け方はしない?かと言うと、この年令では一晩で回復できるかどうか怪しいし、勝負はは相手のあることだから分からない。
「ともかく打ちたければ素直に打って、男の子だから負けても泣くんじゃないよ」と頭の上から笑いながら見ている自分がいます。
”武士は”と言っても生まれたのが団塊の世代ですから戦後、要するに江戸はおろか明治も遠くなっているのですから当然”武士”は無いのですから、母はそこのところを「男の子は・・・」と言い換えたみたいです。
男の子が泣いてもいいのは、親が死んだ時だけだというようなことで・・・
でも心の中では”そういうものか”と変に納得する部分と、”武士とは言っても家は末流の末流で、本家自体が郷士格だから”という気分と”そういう母さんだって元は百姓の家でしょう?”と反発はしていた。
具体的に言うと、表で悔しいこと・例えば大勢相手に喧嘩して負けたとしても、泣きながら家に入ることは許されないとか、自分の欲求の為に他人に醜態を見せることとか・・・意地汚く物を欲しがってはいけないも入る。
当時住んでいたのが港町だから、時折アメリカ軍の艦船が入港する
こういう時波止場に軍艦を見に行くと、高い甲板から水兵さんがチョコレートとかガムとかを撒くときがある・・・まさにこういうときは「武士は食わねど高楊枝」で、撒かれたお菓子をチラとも見ずに無視して、ネイビーをがっかりさせなければならない。
チョコやガムが嫌いな子供はいないでしょう、だから他の子供からは変な奴・素直にくれるものは貰えば好いのにと思われていたでしょう。
これは、人を押しのけてでも前に出るようなことも含まれていますから、長い人生の中では”損をした”様なこともあった。
例えば電車とかバスに行列して乗るとき、イザ乗る段になって押しくら饅頭をして乗り込むくらいなら次の電車にする・・・そういうときは頭の中にこういう言葉が蘇っていて自分を見ている自分を意識して苦笑いしたものです。
数に限りのある物が配られる時に争奪戦に参加する気にはならない・・・
この頃の癖が残っているだろうか、どこかへ出かけるとき充分に時間の余裕がないと落ち着かない・・・余談です
尤も「親の死んだ時だけは泣いても良い・・・」というその時に泣かなかったのは皮肉といえば皮肉で、かなり冷静に受け止めていました。
どちらも予定されたというか、事前にわかっていたような形で、突発的ではなかったこともありますが、個人的に言うと”湿っぽい葬式は大嫌い”。
だから悲しみに暮れたお葬式ではなくて、”昨日の続きが今日”みたいな・・・
個人と繋がりのある人が集まってお茶でも飲んで話をする会で良いのではないかと思って実践しようとしている。
マア長男(兄)にしたらそうもいかないらしく世間並みと考えるらしいけれど、私は次男で末っ子の特権を生かして”カラリ”とした葬儀になるように振舞っている。
ひと様から見ると冷たい人間に見えるかもしれません・・・それに両親の葬儀だから出来たということです
私自身の場合も、知り合い縁者・友人が集まってお茶でも飲んで、思いで話など盛り上がれば最高!
更に記念になるものなど持って行って使ってくれたら更に好い。
さてさてその通りやってくれるかな? またまた余談。
そういうことだから、自分を思い切って出せるのがスポーツとか囲碁将棋の勝負事で、チーター的な手段はともかく正々堂々となら思い切ってやれるのが良いです。
逆にここでは精一杯やるのが礼儀みたいなもので、中途半端ではかえって相手に失礼。
マナーとルールの範囲内なら遠慮なく戦うことが出来るのですから、見方によっては日頃の鬱憤晴らしかも知れないのです。
突然話が変わります・やっとこのブログの本題へ
週末を迎えて。金曜の夜からネットの囲碁三昧と張り切っていた。
しかも心の中に「暴走して大連敗しないように」ブレーキまで準備していたのに
それで、いきなり対局に入って「つんのめり気味」にならないように、まずは人様の対局の観戦から始めた。
これは本当なら定石的な段取り
ともかく滑稽なほど慎重です・・・
これが大失敗というか・もしかしたら大正解!?
同じくらいの点数の人同士で始まったばかりの「序盤」を選んで入室、「なかなか面白い碁だな」と思いながら見ていた・・・見ていたはずなのに、気がつくと表は明るくなりかかり小鳥が鳴いている。
天気予報どおり穏やかな日になりそうなのは嬉しいけれど・・・パソコンの画面は暗転している。
パッドを擦って画面を出すと、当然の事ながら対局は終わっていて対局室は私一人が居残りでした。
観戦し始めたのが日付が変わった辺りですから、かれこれ5,6時間目を瞑って観戦していたことになる。
対局は終わっているしかなりの時間が経っている、そこまで熱心に検討をする人はたぶんいないから、居眠りどころか熟睡なのはミエミエです。
それはともかくせっかくの週末・金曜日の夜を損したみたいな気がしますが、週日やはり気が張っていた分疲れが溜まっていたらしい。
ということは実戦に及んでいれば、目には見えないものの相当なハンデを抱えての対局になっていたかも知れません。
但し、この休養で疲れが取れていつものようなだらしの無い負け方はしない?かと言うと、この年令では一晩で回復できるかどうか怪しいし、勝負はは相手のあることだから分からない。
「ともかく打ちたければ素直に打って、男の子だから負けても泣くんじゃないよ」と頭の上から笑いながら見ている自分がいます。