なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

いよいよ師走

2007-12-02 16:28:52 | Weblog
 土曜日からは暦の上でも12月だから確かに年末・師走となった。
  マア年の暮れだからいろいろ行事みたいなものがあるから忙しいけれど、昔と違って本当の忙しさではなくて、気持ちの上でのことが多いような気がします。
 子供時代は同じ12月で、子供ながらも役割が振り当てられていたから、それなりに用事がありました。
  ありがたくは無いですが、一応私の役割は障子の張替えの手伝い
 これは家中の障子を全て新しい障子紙に張り替える・・・これは兄の仕事で、私は古い紙を綺麗に取り除く役目
  破れば良いだけなら簡単ですが、綺麗に取り除くというところがミソ
 大雑把に古い紙を破った障子を近くの貯水槽運んで、どっぷりと水につけて、紙をふやかして、桟にこびりついているところを束子で綺麗にする・・・
  それほど力はいら無いまでも、水仕事ではあるし楽ではない
   これが子供時代の師走の思い出・・・余り良い物では無いですね・・・でも、今となっては障子のある家は少ないでしょうし、私のところなどはマンションと称する西洋長屋みたいなものですから、障子の張替えはやりたくても出来ない
  ということは、障子を綺麗に張る技術とか、最後に霧吹きでピンと仕上げる技など不要のものになるわけで、これは何だか寂しいきもします。
 
 さて、当時は年末行事として当たり前にやっていたことが、今はやってもやらなくてもよくなっていますね。
  大掃除なども、昔は当たり前の仕事で、その日は家にいる場所がなくなるから、何処かへトンズラするか、仕方なく手伝うかのどちらか。
 私の場合は、いても余り役に立たないから専ら神棚掃除専門
  神棚から神殿をおろして隅々まできれいにします・・・が、この役は家の守り神の社を綺麗にする大事な役目、というよりは高いところに上がったり降りたりの仕事だから私が言い付かっただけのこと。
 この時もっと丁寧にやっていれば御利益があったかも知れませんが・・・
  ともかく神殿やお皿を綺麗にし、新しい榊に取り替えるのが役目でした。

 年も押し詰まってくると(この表現は間違いだと指摘されたことがあります。正しくは「押し迫って」だそうですね。私のが誤りなのか、あるいは地方の表現なのかはわかりませんが,指摘を受けて30年後もそのまま使っています)、オセチ作りとか餅つきなどありますが、それは別の機会に。

 今日は田舎から小包が届きました
  いや、小包といっても小さなミカン箱ですが・・・
   これが田舎と私の間に、完全には途絶えてはいないという定期便みたいなものです。
  単なるミカンなら送料だけ無駄みたいなものですから
   今でも故郷には長兄・長姉・二姉が住んでいるから、三人ともミカンだったりする。
 しかも同じ時期に届いたりすると大変です・・・今は老夫婦二人ですから、御近所に配ったり、勤務先に持って行かなくてはいけないですね。
  そういうことで、私・末っ子の特権というか、我が儘な提案をしまして
 「兄弟で相談して送る時期をずらしてくれ」
 「ミカンでなくても・・・キウイなどでもいいのに」そして更に
 「サクラエビとか海苔、タタミイワシなどの+アルファー」
   まあこれでも両親が居た頃はもっと言いたい放題でしたから、おとなしくなった方です。

 年の暮れというと、毎年遣り残したこと・出来なかったことが胸のツカエみたいに感じる時期です。
 年々持ち時間が少なくなる焦りを感じる年でもある
  それでも、年が変わったからといって年をとるわけでもないと開き直っていますが・・・
  さて今週図書館で借りた本は
「達人囲碁指南 6 達人の道場」 趙治勲 1999年
  序盤・中盤・終盤の次ぎの一手集です
 問題は100問でABCDのなかから選ぶ4択形式で、正解5点ですから全問正解なら500点満点
 マア、4択というところが微妙な気がしますが・・・
  もっとも獲得合計点数によって「あなたは○段です」ではなくて、自分の弱いところが解るということなので、そういう基準としての点数ならば納得です。
 達人囲碁指南シリーズは1から5までは手元にあるのですが6は買っていないので、借りて来ました。
  今まで何の気なしに表紙を見ていましたが、今日はふと「達人」って何だろう?と疑問に思いました。
  今までのシリーズのどこかに説明があったかもしれないのですが、記憶には無い。
  勿論言葉だけの意味なら解るような気もしますが
 当然プロおよびプロ級の人は達人に違いない
  ここで私は自分の基本的な間違いに気がついた
 つまりこの本は「達人になるためのテキストでは無い」・・・イヤそういう役割を果たすこともありうるとしても、それを目的とはしていない。
 囲碁の(プロ界においても押しも押されもせぬ)達人であるところの趙治勳先生の道場ということであったことに気がついた。
 どちらにせよ同じようなものかもしれない。
  この本の内容がほぼ完璧に理解できるなら、「それなりに達人」とは言えそう
   アマでもメジャーの大会で活躍できれば「達人」当確
   いや、マイナーとはいえ県レベルなら問題なく当選
  それには遠くても碁会所レベル・コミュニティレベル、あるいは御近所の達人もあるかも知れないから、ともかく頑張ることにします。