なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

「男子三日会わざれば、括目して見よ!」

2007-12-09 18:03:09 | Weblog
 「会」が正しいのか「逢」が正しいのか分からないのですが、この言葉は高校生時代に、個人教師的に英語の面倒を見てもらっていた人に教えてもらいました。
 まがりなりにも受験生でしたので、何処を受けるにしても英語が必要と言うことで・・・あまりにも1年生の時の成績が酷かったので、お世話になった
 教えるのが仕事ではなくて、本職はサラリーマンで私にはボランティアで
  もっともこの人のお父さんは大学の英語の教授で、本人は英語ではないがドイツ語を専攻していたらしい・・・ともかく語学について勉強していた
 かなりユニークな人で、こういう人が学校の先生だったら良いのにと思いましたね。
 尤も週2回だから、そう思ったのかも知れませんが
 「知っている単語だけでも、(相手に伝える)話をする」と言うテーマで勉強しましたから、ともかく単語を知らなくてはいけない。
 そして動詞+前置詞でのいろんなバラエティを憶えておく
   そんなことから初めて、少し慣れると港に行って、外国人と話をする
 ともかく面白い先生で、英語が好きになったし先生が好きになりました
   そういう先生に教わった言葉
 細かいことを言えば女性差別的ですが、マアこれは中国の古い言葉らしい
「男子は急に成長するから、暫く会わない人とであったなら目を見開いて見よ」
  そういうような意味でしょう、、、(「括目」という表現は古そうですね、パソコンの自動変換では出ませんからね。)
 ということは「君子豹変」と同類でしょう
  陳舜臣さんの本で知ったのですが、「立派に見える人が、酒を飲んだ途端に人柄が変わる・・・」「手のひらを返したように人柄が変わったかのような態度・・・」みたいな使い方は間違いらしい。
 「短い期間で、立派な人になること」みたいな意味らしい
  豹=獰猛ではなくて、豹=高貴な動物何でしょう

 ところでネット碁の話です。
 入場して、接続者一覧表を見ると点数順に入場者が並ぶのですが
  この人がココニ?という時があります。
 確か以前は私よりずっと上にいた筈なのに・・・
 逆もある、先か2子置かせていた人が上にいる・・・
 「栄枯盛衰?」いや表現が適切ではないですね、単に調子に左右されたか、あるいは実力がついたかのどちらかだと思わないと、相手に失礼ということもあるし、対局でひどい目に会うかも知れません。

 今日は少し面白いことに気がつきました。
  たまたま今現在同じ点数の人が3人並んでいまして
Aさん: 284勝 241敗 +43 勝率54.1%
Bさん:1575勝1592敗 -21 勝率49・6%
Cさん:2030勝2032敗  -2 勝率49.9%
Xさん:2020勝1980敗 +40 勝率50.5%
 (Xさんは架空上の人物です)
 500戦くらいで40以上も勝ち越すのは凄いですね、なかなか出来ない
 ただし100くらいで40勝ち越す、つまり70勝30敗ならもっと
 これが点数制度での点数の上がり下がりの秘密でしょうね。
 もし同じ40勝ち越しでも、合計100戦の時と500戦の時と4000戦の時では勝率は全く違うわけで、限りなく50%に近づくでしょう。
 
 さて、もしあるとき目覚めて、急に棋力がアップしたとしたら・・・
  ネットに入会する時に”低めに”登録して、本来のポジションにアップするのではなく・・・あるいは高不調の波ではなくて、その人の水準がアップするみたいに・・・こういう事は起こりうるだろうが、現実はどうだろうか、あるいはどのように見えるだろうか?
 原則実名サイトとは言っても、年令までは分かりません
  多少は昔風な名前とか現代風な名前はある
 (女性の場合は男性よりは顕著かもしれません)
 ともかく、原則的に名前では年令は分かりません
  何故年令に拘るかというと、やはり成長スピードが違うし、成長するのは(概ね)若い人の専売特許みたいなもので、私みたいなジイサマは今の点数あたりにいかに長くしがみついていられるかみたいなものです。
 
 但し、例外?らしいものはある。
 勝率そのものは結局は50%前後ではあるが、急に水準が変わったように見えることがあるのです
 例えばネットを使っている時間帯から、おそらく私と同年代だと思われる人が、それまでより10点くらい上がっている場合。
 これは瞬間風速的に上がるのではなく、変動グラフの中心線が変わるということ
  簡単に言えば強くなったということですね。
 突然神仏の啓示が会ったのか・・・いや、本人の努力の賜物に違いない・・・もしかしたらプロの先生の導きもあったか
  いずれにせよ、ネットで名前をよく見かける人であっても、常に「お馴染みさん」感覚ではいけないということですね。
 
 ネットでは碁会所的に「楽しく趣味の碁を打てる」と同時に道場的に「棋譜を振り返りながら」とところがあります。
 人によって重心が違うかもしれませんが、ともかく「同じ失敗はしない」とか「何か工夫」を考えている筈ですから、「括目」して盤上を見つめなければ危なくてしょうがない。