赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

国会議員は規則を守れ コラム(129)

2016-01-25 00:00:00 | 政治見解



コラム(129):国会議員は規則を守れ

22日、安倍総理大臣の施政方針演説では野党席から間断なく野次が飛んでいました。

衆議院では甘利大臣の経済演説の前に、民主、共産、維新、社民、改革結集、生活の野党6党が退席するとう事態が起きました。

国会議員の権威はどこに行ってしまったのでしょうか。


施政方針演説に対する態度

施政方針演説は総理大臣が一年間の日本政府の基本政策を国民に示すためのものです。日本政府が何を考え、日本をどのように導き、国際社会とどう関わるのかを示す最も重要な演説です。

当然のことながら全国会議員は、総理大臣演説に耳を傾ける必要があります。

その上で、本会議や委員会で議論をすることが、国会の本来のあり方です。


野次はテロリストと同種の行為

野次は不正な発言であり民主主義とは対極にあるものです。本会議や委員会で発言者の意見を聞かず、不規則発言を繰り返す姿勢に国民は共感しません。テレビの画面からは野次を飛ばす議員の嫉妬心や憎悪の感情が伝わってくるからです。

国会の規則から外れた野次行為は一種の暴力です。法を無視してでも自分の欲望を果たそうとするヤクザやテロリストと同種の行為です。

さらに、野次は正当な発言を妨げるだけでなく、寛容と協力と譲歩を重視する民主主義の原理に反します。かつてガンジーが語った「不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、真の民主主義精神の成長にとって障害となる」との言を国会議員は噛みしめるべきです。


民主主義とは議論することで成り立つ

国会議員は国民に安全と幸福をもたらすための議論するために選良として選ばれたのです。

野次や院外での批判ばかりであれば存在価値はありません。

現在の国会に欠けているのは、議論が無いことです。野党は議論から逃げて批判だけを繰り返しています。これでは何も生産されません。

国家の将来を熟考し、言葉によって国家の方針を語り、行動によって国民をリードしていくことが国会議員の仕事であることを強く自覚していただきたいと思います。


立憲主義とは

最近「立憲主義」という言葉をよく聞きます。立憲主義とは「政治はあらかじめ定められた憲法の枠のなかで行わなければならない」という考え方です。しかし、それを唱える側が憲法に違反する行為をしています。

甘利大臣演説で退席した国会議員は、抗議したつもりなのでしょうが、経済演説を行う甘利氏は国務大臣としての職責で演説するものです。公職者である国会議員は大臣演説を聞く職務責任があります。

憲法41条には「国会は国権の最高機関であって国の唯一の立法機関である」と規定されています。退席した議員はその規定を無視し、国会議員としての職務を放棄したのです。

こうした行為は、民主主義の原理を著しく逸脱しています。


国会審議に見せかけのパフォーマンスは必要ありません。野次や、批判のための批判も必要ありません。

国会議員は国民から選ばれた者としての使命を深く認識し、国家と国民のための議論を堂々と繰り広げ、新しく選挙権を得る若い人たちに範を示していただきたいと思います。



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