正論ちゃう?正論webBlogトップページです。  嶌田法海華(Simada.Norika)

常識とは何?何気なく使う言葉の危うさ。噛みつき亀風味でもの申す。脱線ご容赦。あくまでもお馬鹿な私の私論です。最近ボケ気味

キャメラMANBOW   カメラマン某

2015年01月27日 17時54分13秒 | 写真と半生を振り返り2015-2016

どうしても、どくとるマンボウと結び付けたいので題を変えました。

書いたはずのものが投稿されていない???のですが、アクセス数と共に風前の灯火かな?

写真の話を書き始める(写真夜話の続きです)

初めの頃は、写真は本を読んで学んだので、最初から最後まで「自己流」である。

それが良いことだとは思わないが、出来上がりをお客さんが満足したり喜んだりしてくれれば

それでいいのだと 言い聞かせていたが、頓珍漢な分あーだこーだと色々と試したり、練習したり

していた。そもそもおんぼろスタジオがあった場所は、東京近郊で著名人やタレント、文士やらが

多く住んでいるところだった場所で一応は店舗の体裁だったので、不思議とたまり場的な

役目を果たしていた。その為私が大学入学(2回目の)した時にいろんな方々からお祝いを

頂いた。さらに、写真に専念すると決めてから、狭いスタジオを自分で壁や天井電気の配線など

を自分でぶっ壊して作りなおした。なんといっても、壁は土壁だったくらいだから、これを

剥がして木組みをしなおして、配線も使用できるワット数を上げるために5Cという規格のコード

にした。ちゃんと石膏ボードを貼ってその上から壁紙を貼ったのだが、それを一人でやっていると

誰かしらその道のプロが手伝ってくれたりしたので、助かった。

もともとは、旧態然としたスタジオだったようなのであるが、天井をぶっ壊したら、機材が少し

あった。最初の頃にいろんな撮影の練習を自分なりに試してみていたが、それは外から見えた

ようで、「ここで撮影しているんですか?」というある意味宣伝になったと思う。

わかりやすいタングステンライティングを主にしていたが、最初の業務用のスタジオ用の

ストロボ電源とストロボヘッド3個等合わせて70万は、現像所の人の好意で自由分割で

無金利の信用買いにしてくれたのだった。ライトバンクは十数万もしたので最初は傘を

使い、本当に基本的なライティングをしていた。

証明写真撮影 なんていう看板を作ってみて、一人ひとりを大事に撮影していた。

結果として、一日で20~30人を撮影していたので、ストロボの代金は2回で払い終えた。

今の自分と比較するしかないが、多分別人のように一生懸命だったのだろう。

だから、様々な人々が有形無形に支えられていたのだろう

               続くに違いない

 


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