正論ちゃう?正論webBlogトップページです。  嶌田法海華(Simada.Norika)

常識とは何?何気なく使う言葉の危うさ。噛みつき亀風味でもの申す。脱線ご容赦。あくまでもお馬鹿な私の私論です。最近ボケ気味

カテゴリーとの落差

2013年05月17日 19時55分06秒 | 病気との闘い?闘うばかりがのうじゃない
 病気といえば最近してきされた「筋肉の萎縮」などや「心筋梗塞のおそれ」などを示す血液検査の値が

 平均の5倍だということ。

  以前は紹介される医者病院にあちこちかかってみたが、今はもうそんな面倒なことはしたくはない。

 ただ、親よりも少しだけ長生きしなければならないと思っている。

  自分の現状から逃げているのだろうか?と自問するが、半分は確かにそうだろう。

 ただ、結局は難病の類になるそうだから、あわてても仕方がない。

  といいながらも、日常生活では多少の制約がある。

 手足の脱力なのか、神経伝達が一時的に麻痺するのか理由は定かではないが

 「つり銭を受け取るときに受け取ったはずなのにこぼしてしまう」ことが一番嫌だ。

  @貧乏なりにもこれに対する対処方は、行きつけの店を多くすることだ
 
 そうすると、こぼしてもよいようにというか、こぼさないように下に手を添えてくれる場合が多くなる。
 
  病気と闘うというよりも、自分でできる解決策は自分で考えるべきであると私は考えている。

 無論 根治療とは無縁のことだが、時折見かける車椅子にのった中年男が親であろう老婦人に、

 「そうじゃないだろ」なんて語気を荒げていっている姿を苦々しく感じて見ている。

 それなりの事情がるのだろうが、まるでお手伝いさんのように物事すべてを言いつけている。

 入院回数が長いので、昔ながらの車椅子を押してあげたりすることもあったが、本当に重たいのである。

 その人は手は両方とも普通に動くのに自分で車輪を回そうとはしなかった。

  九死に一生という言葉があるが、少なくてもその場面を見ていてこう思った

 九死に一死でよいんじゃないかなぁと。


  

  

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。