正論ちゃう?正論webBlogトップページです。  嶌田法海華(Simada.Norika)

常識とは何?何気なく使う言葉の危うさ。噛みつき亀風味でもの申す。脱線ご容赦。あくまでもお馬鹿な私の私論です。最近ボケ気味

ドクトルマンボウ青春期

2012年05月15日 20時51分35秒 | 読書百遍 3000冊の蔵書の中から
亡き北杜夫氏の青春時代を綴った破天荒なでも明るい気持ちになれる一冊。
実はこれの感想文や推薦文などで高校の頃あちこちに名前がでたし微々たる商品賞金をいただきました。
バンカラといっても、今の人には分からない死語かもしれないが、ともかく読んでみるとその時代背景と共に無茶苦茶ぶりが伝わってきて小一時間もあれば読める。そんな生活に憧れていたけれど、時代が違うから・・。と思っていた京都の下宿時代、硬派を自称していた私の四畳半のおんぼろ下宿は溜まり場と化し毎日誰かがいた。鍵をかけてもおんぼろ故に、勝手に出入りし、毎日安い焼酎を一瓶以上は開けていた。夕方から、深夜というより早朝までブウガクやテツガク、シュウキョウ、ジンルイガク等様々なことを語り合った私にとっては有意義な時間ではあった。中には途中で寝てしまうものもいたが、酔いよいになって明け方3時にそろって近所のおいしいラーメン屋に行ってから解散するのが一つのぱたーんであった。よって、起きるのはお昼過ぎで、学食で食事をし近所の銭湯でじいちゃんたちと一番湯にはいるのが日課となった。
学校は一般教養ばかりで、ほとんど授業にでなかったが、代返や何年も同じ講義をしている教授にはちゃんと裏本があり、またまじめに講義にでている仲間からテストで落ちないぎりぎりのところを教えてもらった。あとで計算してみたら、2年生の時おおよそ3週間分しか学校の授業を受けていなかった。しかし、そもそも下戸の私3年のある大雨の日布団から起きあがれなくなった。大雨でさすがに来る奴はいないだろうし、発熱もありじっと天井を見ているしかなく、そういうときに限って時計の秒針の音が耳についた。
水分をと思っても動けなかった。時間が長く過ぎたやたらと。そんなとき一人の友人がきてくれて、介助してくれ、一晩付き添ってくれて翌朝肩を借りて病院に出向いたら即入院となった。(続く)

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