今でも印象にのこっている事がある。
マスコミの報道ヘリが、かろうじて屋根に逃れた人々を写しだし「こちらに手を振っています」という
レポートをしながら通りすぎて行った事。
被災状況をなるべく満遍なく知らせる必要はあるとは思うが、もしアメリカ等の報道クルーならば、
報道よりも人命救助を優先していたのではないか?と思ったし、被災した人々には報道ヘリも救助ヘリも
判らないのだから、必死に手を振り助けを求めたのに通過していくヘリコプターをどんな思いで見ていたのかと
思うと胸が痛む。人命か報道かというのは、相反すると言われて久しい問題である。
もちろん、報道ヘリが人命を救助するということは、ヘリの脚の部分まで降下しなければならないので、
その風圧で屋根から飛ばされてしまうという危険性もある。
さらに言えば、こういう緊急避難的な場合には、即時自衛隊のヘリ等を各所から集結させることが出来ればとも
思った。私が知らないだけなのかもしれないが、緊急避難的な場合のみに警察や報道自衛隊等で共有できる
周波数があれば、より早く的確に救助ができたのではないかとも思った。
この時の民主党政権は歴史に名を残すとおもうのだ。総理の愚策、対応の遅さ等など、機能しない日本の
中枢が救える命の数多の灯火を消し去ったと。
天災だからという諦念があったに違いないと思うのだが、天災というその天は、唯一自由に使える空間だった
のであり、こういう激甚災害の際に、陸路を優先しがちな傾向を少し改めて、かつ自衛隊というものを、
実践的な先鋭救助隊として初動利用する事を柔軟に考えるべきだと感じた次第である。
復興が非常に遅れているという現実がある。これが、今の日本の実力かと想うと情けない思いである。