孤高の写真家白川義員。
元はフジテレビを立ち上げた一員だったそうだ。
確か高校生位の時、仏教がどのようにして日本に伝わったかという原風景を写真で表現していて、メーター焼きの大きなプリント一枚一枚の迫力に圧倒された。 さてどんな人かと思えば、背が160cm位でどこにこんな力があるのか?と思ってしまうただのおじさんだった。ペンタックスの67版というカメラ(約1キロ半)はよいとしても、どでかい太陽を写すための600mmレンズは当時はレンズの口径が30cm位あり確か10kgある大砲のようなレンズずしかなく運ぶだけでも大変そうだった。この人とは、何となく接点がありそうで、その後十年位して南極大陸の写真の展覧会をしたときに、とあるフォトサロンの関係者と内覧した。当時の私は新進気鋭のなんとかだったらしく、ちやほやされかかり始めた頃である。さらに、世界初のシーラカンス解剖のオフシャルカメラマンを藤原新也猛烈な売り込みを当時の学術調査隊の隊長がはねのけてくれたおかげで光栄に預かったりしていた。話は戻り展覧会の内覧会で取材を終えた白川さんに紹介していただくことがで
きた。世界初という点では重なり合う部分があり最後に仏教伝来の写真展を見に行ってペンタックスを買った話をした。それから、今度はペンタックスのプロ部のエースを紹介していただくことができた。
お互いがんばりましょうと差し伸べてくれた手を握手したら、女性の手のように柔らかくて驚いた。
恐るべし先入観
元はフジテレビを立ち上げた一員だったそうだ。
確か高校生位の時、仏教がどのようにして日本に伝わったかという原風景を写真で表現していて、メーター焼きの大きなプリント一枚一枚の迫力に圧倒された。 さてどんな人かと思えば、背が160cm位でどこにこんな力があるのか?と思ってしまうただのおじさんだった。ペンタックスの67版というカメラ(約1キロ半)はよいとしても、どでかい太陽を写すための600mmレンズは当時はレンズの口径が30cm位あり確か10kgある大砲のようなレンズずしかなく運ぶだけでも大変そうだった。この人とは、何となく接点がありそうで、その後十年位して南極大陸の写真の展覧会をしたときに、とあるフォトサロンの関係者と内覧した。当時の私は新進気鋭のなんとかだったらしく、ちやほやされかかり始めた頃である。さらに、世界初のシーラカンス解剖のオフシャルカメラマンを藤原新也猛烈な売り込みを当時の学術調査隊の隊長がはねのけてくれたおかげで光栄に預かったりしていた。話は戻り展覧会の内覧会で取材を終えた白川さんに紹介していただくことがで
きた。世界初という点では重なり合う部分があり最後に仏教伝来の写真展を見に行ってペンタックスを買った話をした。それから、今度はペンタックスのプロ部のエースを紹介していただくことができた。
お互いがんばりましょうと差し伸べてくれた手を握手したら、女性の手のように柔らかくて驚いた。
恐るべし先入観