ストーカー事件の原点を考えてみると、「意思疎通の拙さ」があるように思う。
ネットがあって当たり前の社会になり、その危険性を考えることがなくなっているようだ。
だから、ネットで知り合い親しくなるケースが多いようだが、そういう自由もあってよいが、
モニターを前にして言葉だけのやり取りとなる為にネットとは違い、生身の人間と出会った時に、
嫌なものは嫌だということになった時に、現実社会での言葉の拙さが双方にあり話がもつれるのでは
ないかと思うのは私だけだろうか?
ネットなら簡単に拒否できることも、互いの「感情」を思いやりつつうまく別れる事ができないに
違いない。その為にストーカーのような事態に陥るのではないか?とも考える。
過ぎた話なのだが、ストーカーの被害者が警察に相談して助けを求める一方で、フェイスブックを
使っていたという事もあった。偽名で使っていたとしても被害者も少し考え方が甘いのでは?と
思うこともあった。別れた相手からの迷惑行為の度が過ぎているから警察に相談するその一方fで
危機への対処「自分の身は自分で守る」という点がどうも甘く感じられるのである。
もちろん、例外は沢山あるかもしれないけれど。
ストーカーというと異性間だけだという認識も危険であるが、いずれにしても警察に対する批判は
確かに事実であるからやむをえない。ただストーカーに対してなぜそうなったのかについてを
検証する必要はあると思う。、