高校のとき 二輪免許を取ってからというものどこに行くのも、バイクで、
受験の時も1校だけ電車では面倒くさいのでバイクでいった。
ちなみに この大学の教授を大学時代の友人がしているのだが、偏差値的には
滑り止めの推薦入学のはずだったのに落とされた。なので京都での学生時代に
格好の笑える素材になったが、じつは今でもコンチクショウと思っているが、
京都の大学生活が充実していたので結果的には良かったと思う。現役でそれよりも
偏差値の高い渋谷にある大学に入学したが、2週間でやめた。で京都の大学を
受けるためと、豪く高い寄付代を親に返し、大学入学、入学後の生活を支える
べく1年間はアルバイトにまい進した。記録と記憶がそろそろあいまいになり
だしたのだが、免許を取った次の日から陸送のアルバイトを深夜やり、7時ごろから
夜23時まで4tで配達をしたり、喫茶店をたのまれたりと今現在の大学の
初任給の3倍は稼いでいた。2時間睡眠というのは考えてみれば、このころから
していたなぁ。ただ さすがに若くてもこれでは眠気に勝てず、あやうく新車と
ともに激突死しそうになって、蛇行運転しながら必死にハンドルをまわして
事なきを得たが、ふとバックミラーをみれば、はるかかなたの後ろのほうで
後続車がすべて止まっていたのがみえた。
2車線道路で相当蛇行運転したようで映画やドラマのような感じだった。
目の前にコンクリが迫るたびにハンドルをきるのだけど、きりすぎて反対に
いく。これの繰り返しだった。あーーーーきりすぎだぁ~時が付き何とか回避
このころは 深夜0時過ぎに寝て2時も陸送で5時に帰り今度は4トンのバイトを
かけもちしていた。
それなりに苦労したけれど、瞼が開かないので無理な運転はやめるべきだった
かな?