写真で生計を営んでいたのだが、仕事の依頼は仕事を始めた頃から断らなかった。
最初の頃はポツンと始めたので仕事もポツポツだったので、仕事を頂く事は嬉しく感じていたし
その事もあり、空撮と水中以外の撮影は断った試しがない。
数年後から爆発的に撮影が増えたが、仕事を断らない姿勢は同じで、撮影機材もドンドンと増やす事で
より対応ジャンルも広がった。365日休まずには当然で朝から晩まで写真漬け、これを数十年続けていた。
「そんなに稼いでどうするの?」等とからかわれたが、人間はやはり休みが必要だと気がついた時が
写真を辞める時となってしまった。
三十路を越えてから、体調を崩すことが多くなったのだが、そんな時でも懇意にしている医者に行き
点滴や筋肉注射をして、撮影に臨むという事もあった。
撮影を始めれば体調のことは忘れる事ができたのは幸いだったのか、どうか?
それよりも、自分の時間は皆無であり、仕事ではない写真を写したり、友人たちとどこかに遊びに行くことが
できないことがわだかまりとして心のどこかに常にあったのは事実だが、のんびりと何かをする
或いは何にもせずにいるということは皆無だったので多分そういう日があっても、きっと仕事をしてしまう
に違いなかっただろうなと思う次第。
ただ、結局は疲労が重なり、蓄積をした結果、右手の麻痺という体の最終警告がでてしまって、
「もしかしたら直らないかもしれない」という状態に陥った。
全ての蓄積が砂上の楼閣のように消えさせなければならないという現実に直面して、撮影は断念する
という決断はそれまでの人生が、あっという間に吹っ飛んだということである。
それまでのクライアントから、治るのを待つとか、手伝いをさせるから、時期は急がない等と温かい
計らいを申し出てくれたりもしたが、その優しさがかえって辛くて仕方がなかったし申し訳ない気持ちで
一杯だったが、ずるずると引きずることは利用者さんにはかえって迷惑だと考えて、廃業にしたのだ。
その日を境に写真のしゃのじも考えないようにした。