高橋さん、これから述べるのは手帳の高橋、そのCMについて。
ハッピーバースデーの曲と共に流れる映像の中に、戦車と夕日がある。流れから言えば戦争が終わった平和な世界の到来って感じだが、なぜか微妙に引っかかるその前に得意の脱線。
海外のドキュメンタリー作家、フォトグラファーは夕日に本来の対象物を絡める事が多いのである。
さて、夕日の意味は?と考えると、一日が無事に終わったということなのか、夕日が沈んでまた朝日がくるという未来への象徴なのか?それとも単なる作図つまり映像敵に美しいからなのか?すべてが正解であると同時に不正解でも在るに違いない。
映像は真実を語るとは、よく耳にする言葉だが、実はそうとは限らない。
高橋のCMを例に挙げれば、これから戦場に向かう戦車とキャプションをつけるか、戦いを制して安堵していると書くかで、映像の意味が異なってしまうことに気がついて頂けただろうか?。何でもないCMなので、世界の何でもない日常を流しているだけである。 よって、手帳から解き放たれよう!なんて逆手に考えてみるのもいとおかし。 CMっていうのは会社が小さいうちは商品連呼型でその企業が成長していくに連れイメージ戦略になるようだ。さらには、エコ活動などに進んでいくようだ。 そういうおいしいところを企業からの寄付で行っているNPOも多い。
世界はちっとも大人になっていないんだよね、高橋さん。
大晦日
ハッピーバースデーの曲と共に流れる映像の中に、戦車と夕日がある。流れから言えば戦争が終わった平和な世界の到来って感じだが、なぜか微妙に引っかかるその前に得意の脱線。
海外のドキュメンタリー作家、フォトグラファーは夕日に本来の対象物を絡める事が多いのである。
さて、夕日の意味は?と考えると、一日が無事に終わったということなのか、夕日が沈んでまた朝日がくるという未来への象徴なのか?それとも単なる作図つまり映像敵に美しいからなのか?すべてが正解であると同時に不正解でも在るに違いない。
映像は真実を語るとは、よく耳にする言葉だが、実はそうとは限らない。
高橋のCMを例に挙げれば、これから戦場に向かう戦車とキャプションをつけるか、戦いを制して安堵していると書くかで、映像の意味が異なってしまうことに気がついて頂けただろうか?。何でもないCMなので、世界の何でもない日常を流しているだけである。 よって、手帳から解き放たれよう!なんて逆手に考えてみるのもいとおかし。 CMっていうのは会社が小さいうちは商品連呼型でその企業が成長していくに連れイメージ戦略になるようだ。さらには、エコ活動などに進んでいくようだ。 そういうおいしいところを企業からの寄付で行っているNPOも多い。
世界はちっとも大人になっていないんだよね、高橋さん。
大晦日