信教の自由というのが日本には在る。ただ、世界の三大宗教と言われるものでも
その解釈の違いで亜種や亜派も数多あり、その急進的なものは銃をとってでも自らの主張を
受け入れさせようとする事がある。
さらに新興宗教などを加えるとどれぐらいの宗教が世界にあるのかは数えられない。
ISを見ていると、連合赤軍事件とオウム真理教事件の2つが脳裏をよぎる。赤軍派は左翼が幻となって
ひさしいにも関わらず、最初は数十人が幻影を追い求め、仲間を総括という名のもとに殺害していった
銃撃戦と粛清という本をそれを知るメンバーが書いている。殺すか殺されるかメンバー同士が互いに
監視仕合い自らの命を守るために仲間をちくり粛清(殺害)していったのである。
最近テレビで昭和の事件史をやる頻度が高いが、浅間山荘事件などはこの残党が起こした事件である。
ISも同じような経過を辿るのではないかとも思う。
オウム真理教は全く根拠なき宗教の名を借りたテロ集団であり、教祖とされる人物を含めて、幹部の
殆どに死刑が確定している。地下鉄サリン事件という日本では想定されていなかった化学兵器の
猛毒を地下鉄でまき死者と負傷者数千人が被害を受けた事件だ。いま公判を受けている逃亡犯は
教祖の死刑を延ばそうと逃亡し続けていた。これは、日本の死刑制度がなかなか執行しない事を
織り込んだという意味である。
この宗教は名前を変えているが、おそらく教祖なる人物への信仰心は変わっていないと思う。
人の心の平安を対極として神という呼称を使うが、原始の宗教理念に忠実に守っているならば
人を殺めることなどはまさに破門であるはずなのに、宗教が人を操る道具になっているというのも
現実問題として受け止めなければならない。