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特別展『玉水焼 三代』 ※8月22日(日)まで
前回ココを訪れたのは年明けすぐで展覧会が始まった
その展覧会が始まってすぐだった。
通常は3月に次の展覧会に替わるところが緊急事態宣言の影響もあり、GW明けまで会期延長になった。
なので、例年の春~初夏(3月~6月)展覧会が飛んじゃった感じ。
よって、「久しぶり感が強い楽美術館」という印象。
さて、ちょっと今回は難しい内容。
楽家4代の一入の庶子・一元とその系統にスポットとあてた展覧会。
その存在は知っていたし、楽家歴代をテーマにした展覧会も参考作品的に見たことはあったが
特に強い印象はなかった。
ただ、家督は雁金屋から尾形光琳・乾山兄弟の従弟にあたる男子を養子にし、
しかもとても幼い時(年譜を確認したら1歳)だったということは印象にあった。
その養子が宗入。(のちに一入の娘と夫婦縁組)
その辺りのことは2014年秋に宗入と尾形光琳・乾山をテーマにした展覧会とその翌年の展覧会で解説を読んで知ったんじゃなかったかな。
(娘と縁組は今回初めて知ったけど)
その時に一元と玉水焼のことも知って、実子を跡継ぎにしないことに違和感を少し感じた。
今回、一元の生い立ちも含めて知ることができた。
母親は玉水村(現在の京都府綴喜郡井手町←京都府南部)の出身で楽家に女中奉公にきていたらしい。
しばらく別宅で囲われていたけど、離縁?されて故郷に戻され、でも飢饉で生活が苦しかったのを見かねて
一元だけ?楽家に引き取られたとのこと。
一元が生まれて3年後には宗入が養子に入っているし、正妻の娘もいて兄妹3人で育てられたようだ。
その中で一元も茶碗作りを仕込まれ、1668年に独立して玉水に窯を開いたらしい。(数えで26歳ぐらいの時?)
一元の長男(一空)が22歳で亡くなり、次男が3代目(任士斎)を継いだものの妻帯しなかったので継ぐ者がおらず
一元についていた弟子筋が4代目を継いで明治まで続いて、廃窯になったとのこと。
脇窯ということもあり、書付とか極めが少なく、鑑定が難しいようだ。
今回展示されている作品も3種類に分けられている。
基準作…確実に本人の作品。書付が本人と同時代なので、信ぴょう性も高い。
第1類…ちょっとアヤシイ。書付が本人より後の時代を生きた人の手によるので、信ぴょう性も低い。
第2類…かなりアヤシイ。
鑑賞していても、一元の作品は一入の指導がなんとなくわかるし、宗入と切磋琢磨しただけあって「さすがだな」と感心するけど
二代・一空は若くして亡くなったので、点数も少ないし、作風も初々しいなぁと感じる程度。
三代・任士斎は独自性をいっているというか、楽茶碗なんだけど、土も違うし(楽家は3代寝かせた土だけど、玉水焼は違うので)
明らかに楽家の茶碗からは離れているし。
だから、やっぱり目がいくのは結局のところ、一元の茶碗だった。
しかも、やたらと滴翠美術館所蔵のものが多い。
「あ、そういえば滴翠美術館で観たっけ。一元の存在を知ったのもこっちかも~」→2014年10月に訪問(こちらを参照)
ちなみに、一元と宗入の間に確執があったというウワサ?もあったらしいけど、
調べ直した結果、そういう痕跡はなかったとのこと。
その辺りは楽直入さんがまとめた以下の本にも書いてあるそうな。
てか、この出版を記念した展覧会なのね。
楽直入さんも隠居して、こういったご先祖様について調査する余裕が出てきたのでしょうね。
まだ古希を過ぎたあたりで、とてもお元気そうだし。
思えば先々代の14代覚入さんは当代のまま急逝?だったし、
その前の13代惺入(せいにゅう)さんは跡継ぎが出征中の中、やはり当代のまま亡くなったし。
いずれも隠居生活を愉しむことはなかったからね。
隠居してからも元気だった歴代といえば9代長入さんが有名だけど、
直入さんも同じくらい大胆な作品をこれから多く作られるのではないかしら。
なんて、思ってもみる。
ちなみにお手洗いのお花、ちょっと雰囲気が変わった。
もしかすると生ける人も交代したかも。
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