
2泊3日の熊野旅行、初日に熊野那智大社、中日(なかび)に熊野本宮大社とお詣りして、
楽日(らくび)は熊野速玉大社へ。
本宮町から新宮へ向かう途中のバスに乗っていたら、いきなり雨粒が窓に当たったのでビックリ。
慌てて、ザックカバーをかけた。
バスを降りた時は傘をさしたけど、その時には既に小ぶりになっていてまもなく完全に上がった。
本当にこの3日間、通り雨はあったものの外を歩くタイミングと完全にズレていたため、助かったなぁ。
(これも熊野の神様の御加護でしょうか)
で、速玉大社へ向かう。
梛という樹木があること、実は初めて知った。
厳かな気持ちで手を合わせた。
そういう心理が影響したのか、お守りを買う気になった。
選んだのは、、、
今回、足を痛くしちゃって歩くのがつらかったので。(^^;;
健康に歩けるって、ほんと大事デス。
お、脇に楽しみにしていた石碑が。
平安時代末期に熊野に行幸した天皇家の方々。
訪問した回数がかいてあるのデス。
女院の訪問回数はさすがに少ない。
大河ドラマ『平清盛』で鳥羽上皇を演じた三上博史が役を演じるにあたって熊野三山を参拝しに行って、
この石碑をみてプレッシャーを感じたのだとか。
碑そのものは昭和天皇に仕えた入江侍従長のお筆によるものだから、わりかし最近のもの。
熊野三山とも社殿は比較的新しいので、建物など形あるものに文化財的価値があるわけではないけど、
脈々と千年以上にわたって受け継がれた信仰の心というか、熊野信仰という文化が「世界遺産」に選ばれたということが
実際に現地に足を運んでみて理解できた。
まぁ、天皇家による熊野行幸は長い歴史の中においては、ほんの100年間程度でそんなに脈々と受け継がれたものではない。
後鳥羽上皇が承久の乱で敗れて隠岐に流されて以降、ぱったりとなくなり廃れちゃったから。
「蟻の熊野詣」はもっと後の時代じゃなかったかと思う。
往々にして、遠路はるばるの参拝は「お伊勢さん」こと伊勢神宮への参拝(つまり、伊勢詣り)に取って代わられる。
(まぁ、熊野に比べてはるかに訪れやすいからねぇ)
だけど、そうなっても熊野三山の信仰は脈々と現在に至るわけで、荒廃もせずに忘れ去られることもなく、
人々によって守られたきたことは本当に素晴らしい。
現代になって、八咫烏は日本サッカーの守り神みたくなっているし。
やっぱり、熊野大社はすごい。
と、しみじみ思った。
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