★相国寺承天閣美術館 サイト
『茶の湯 禅と数寄』 Ⅱ期 ※3月29日(日)まで
昨年10月からⅠ期とⅡ期に分けて半年にわたった長期の展覧会。
なので、昨秋のⅠ期も行こうと思えば行けたのだけど、なんとなく行かず仕舞い。
(何度か訪れているので、あまり食指が動かなかった)
が、今回は他に行く美術館がなかったので、行った。
行ってよかった。
青空が広がって、とても空気が清々しく感じたのと、
禅寺ならではの清浄な雰囲気が合わさって、気持ちがシャンとしたような。
しょ
会期が長かったことで展覧会の知名度が浸透していたのか、
館内はそこそこ人がいた。(でも、半径2mを守って鑑賞できる程度)
出品目録を見ずに目の前の展示品と向き合った。
印象に残ったのは、黄瀬戸の珠光天目茶碗。慈照寺蔵とのこと。
てことは銀閣寺。しぶいなぁ。珠光は義政と親しかったから、出入りもしていたことだろう。
その関連で所蔵されてきたとすれば、すごい。
茶碗の存在感というか、圧を感じたのはそのせいかなぁ。
利休在判の尼ケ崎台も風格を感じた。
語録や墨蹟が疲れちゃうので、サーっと流す。
唯一、義満の一行書は凄いなと思った。
けっして字が上手というわけじゃないけど、力を入れて書いたような感じで。
牧谿筆の江天暮雪図もよかったなぁ。鹿苑寺蔵、つまり金閣寺の所蔵。
やはり、義満の時代に天龍寺船で入ってきたのかな。
展示の中盤は隔蓂記(かくめいき)。
茶道文化検定の勉強をしていなければ「ナニコレ?」になってしまうところ。
金閣寺の住職、鳳林承章が1635年~1668年に書き綴った日記で、
後水尾天皇時代の上流文化をうかがい知ることができる貴重な史料。
もちろん、内容を読めるわけじゃないけど、日記の量に圧倒された。
それに続いて、仁清の呉器写の茶碗や富士絵茶碗、天目茶碗が並ぶ。
そっか、仁清が焼いたものはこういう世界で使われていたのねぇ。
と、改めて仁清の時代背景が見えてきて、興味深かった。
続いて、数寄者の茶。
大西浄久作のうら菊釜に注目。たしか、二代浄清の弟だったと思う。
だから、仁清と同じ時代。よって、隔蓂記が綴られた時代だ。
鹿苑寺蔵だから、やはり雅な世界で使われたのだろう。
(そういう雰囲気が感じられる茶釜)
ちなみに、Ⅰ期は浄清の夜学釜が展示されていたようで。
大西家当代が写した夜学釜はちょいちょち見る機会があるけど、
本歌は大西清右衛門美術館以外の大西家の歴代展でしか見たことないので、
ちょっと残念だった。
国宝の玳皮盞天目(たいひさんてんもく)も久しぶりに再会。
それと加賀光悦も。
やはり、この2碗を観ないことには承天閣美術館へ来た気がしない。
それと、常設展示の伊藤若冲の葡萄小禽図もね。
もとは鹿苑寺にあったもの。
等伯のお猿さんに会えなかったのが残念だけど、
それは茶道具じゃない展覧会の時じゃないと無理かもね。
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