『九州国立博物館 | 特別展:室町将軍 - 戦乱と美の足利十五代 -』 9月1日(日)まで
トーハクでポスターを見かけて興味はあった。
でも、遠すぎて最初から「行く‼️」発想はなかった。
しかし、今月初めの日曜日の朝、テレビで紹介されているのを見て、「東京か京都に巡回したら、見よう」に変わり、
更に巡回はしないことを知り、愕然とし~
そこで、やっと気がついた。
「そういえば、会期中に行くやん。しかも、福岡空港に降りるやんか!」
で、旅程を変更して訪れた。
面白かった~
先ず、九博でしか開催しない理由。
室町幕府は京都にあったけど、足利尊氏が幕府を開く契機になったのは、
鎌倉幕府を倒した翌年に後醍醐天皇との関係性が崩れ、西国に追われたから。
教科書にはたった一行そう書いてあるだけ。
尊氏が落ち延びた地が太宰府。
ここで力を蓄え、また都に攻めのぼって、逆に後醍醐天皇を都落ちさせる。
室町幕府が開かれた経緯も戦の果て、
南北朝で天皇家が割れ、暗殺された将軍がいて、
応仁の乱が10年続いて都は荒廃し、果ては将軍自身も京都にいられないほど
弱体化。
と、政権として不安定な点をたくさん暗記した。
でも、ダメダメながらも240年近く続いたわけで、
260年続いた江戸幕府と長さ的には大差なく~
将軍の代も双方15代だし。
日明貿易やら侘びさびの文化や能狂言、畳や床の間など和風建築の基礎など、
今に続く日本文化が確立されたのは室町時代だった~
実は凄かった‼️
だから、日本文化の原点は太宰府にあり!
という理由で九州のみの開催。
まず驚いたのは足利尊氏。
教科書に掲載されている肖像画は尊氏ではないらしい。
で、広島のお寺が所蔵している肖像画がかかっていた。
束帯姿のせいか、落ち着いた知性派。
ほー。
尊氏の花押がある軍扇や御教書、自筆の和歌。
家来による尊氏を慕って忠誠を誓う連判状など人望の厚い人物だった。
そして、対立はしたものの、後醍醐天皇を敬愛する心は終生変わらなかったようだ。
2代義詮が幕府の権力を確立し、3代義満が日明貿易で圧倒的な権勢で統治し、
4代義持がしっかり受け継いだ。
義満の肖像画は出家した後のものだけど、
等持院の坐像は肖像画と同じ顔でしかも若い頃がモデルらしく、興味深かった。
ここまでは良い時代だったものの、5代めが早世し、籤で選ばれた6代義教あたりからあやしい雲行きに?
お公家さんの日記が展示されていて、「将軍が滅せられる珍事があった」というような記述があった。
珍事❗️なんだぁ。
日明貿易の割府の体験コーナーが合間に挟み込まれているのが面白かった。
中盤、義政のあたりだと茶道具の展示もあり、
初見のものから何度も見たものまで、
改めて、この時代の道具のよさに気がついた。
馬こうはんはトーハクほかで何度も見たけど、改めて「修理に出したのは義政だったなぁ」。
三具足の設え、室町時代の正式なものを見たのは初めて。
牧けいの「遠幌帰帆図」も久しぶりに拝見できたし。
九博が所蔵する金の覆輪がついた油滴天目茶碗は過去に一度、茶道資料館で見て依頼なので懐かしかった。
灰被天目と禾目天目も横に並んでいて、改めて「東山御物は格が違うなぁ」と感心した。
洛中洛外図屏風は金色の雲ばかり目立って、建物や人物がよく見えなくて残念。
代が二桁になってからは京都を追われて流浪する将軍が続くから、展示品も少ない。
桑實寺縁起絵巻にビックリ。
由緒ある名刹なのね。
(安土城から山の中を歩いて行ったなぁ)
そして、フィナーレは等持寺所蔵の歴代将軍坐像。
5代と14代を除く13人のリアルな木造坐像がズラリ。
撮影エリアがあって、そこからなら撮影OK。
私は2代め義詮、4代め義持といったカリスマ性の高い人の後を継いで、
目立たないけど、確実に地盤を固めた堅実な人が好きだなぁ。
改めて日本文化の原点というか源流を気づかせてくれる展覧会だった。
物販コーナーではオルジナルグッズの少なさに少し失望。
そういえば、前回も少なかったっけ。
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