殯(もがり)とは、敬う人の死を惜しみ、しのぶ時間、またはその場所、を意味するらしい。
「喪あがり」が語源であるとも聞く。
万葉集に殯の間に詠まれた歌が何首かあった。
たしか、草壁皇子の殯に柿本人麻呂が~だったっけ?
だいたい数日間だったそうだ。
先生が亡くなったのは月曜日の未明なのだそうな。
よそのおうちのことなので、事情はわからないが、告別式は土曜とのこと。
なので、後ろめたい気持ちを残しつつ、京都へ出かけることにした。
そして、水曜日の朝(つまり、30日の朝)、この世のものとは思えぬほど美しい紅葉を見た。
修学院離宮で。
(8月1日の朝にネットで申し込んで当選したのだった)
2度目の申し込みで紅葉まっさかりの時期に抽選に当たったことでもあるし、
お宿(金魚家さん)も申し込んでいたんで、申し訳ないけど行かせていただくことに。
(その代わり、予定を1日早く切り上げて帰京し、お別れに参上するつもり)
修学院離宮の紅葉も、大徳寺の紅葉も今が盛りだった。
ガイドさんによれば、月曜日に来た時はまだ紅葉していなかったとのこと。
ここ3日が盛りで一気に落ちるのだろうとも言っていた。
行く先々で紅葉と庭園、とくに大徳寺では枯山水を眺めて心を洗い、
仏様に手を合わせて先生の御冥福を祈った。
先生と一緒に京都を訪れたことはないけれど、
紅葉を見ながら、さまざまな思い出が去来した。
あんなこともあった、こんなこともお話しした。
お弟子さんは他にもいらっしゃるのに、
幸運なことに私は先生と二人でお話しする機会が何度もあった。
そして、大切なことをたくさん、たくさん教わった。
途中、通り雨に降られて、あわてて飛び込んだのが黄梅院。
タイミングが悪くて、なかなか訪れることができなかった塔頭。
雨にますます紅葉が映えて、言葉にできない美しさだった。
方丈の前にボーーーっと座って思った。
そういえば、昔、人が死んで三日のうちに雨が降れば、
その人の死は非業の死ではなく往生であると聞いたことがある。
先生もそうだったのかぁと少し安心したような。
夜、いつもの町家の蕎麦屋で献杯していて、ふと気がついた。
先生が逝った28日は利休さんの月命日と同じではないか。
やっぱり、さすが先生だなぁ。。。と感心してみたり。
そうして、亡き先生と会話を交わす京都の殯の夜。
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「喪あがり」が語源であるとも聞く。
万葉集に殯の間に詠まれた歌が何首かあった。
たしか、草壁皇子の殯に柿本人麻呂が~だったっけ?
だいたい数日間だったそうだ。
先生が亡くなったのは月曜日の未明なのだそうな。
よそのおうちのことなので、事情はわからないが、告別式は土曜とのこと。
なので、後ろめたい気持ちを残しつつ、京都へ出かけることにした。
そして、水曜日の朝(つまり、30日の朝)、この世のものとは思えぬほど美しい紅葉を見た。
修学院離宮で。
(8月1日の朝にネットで申し込んで当選したのだった)
2度目の申し込みで紅葉まっさかりの時期に抽選に当たったことでもあるし、
お宿(金魚家さん)も申し込んでいたんで、申し訳ないけど行かせていただくことに。
(その代わり、予定を1日早く切り上げて帰京し、お別れに参上するつもり)
修学院離宮の紅葉も、大徳寺の紅葉も今が盛りだった。
ガイドさんによれば、月曜日に来た時はまだ紅葉していなかったとのこと。
ここ3日が盛りで一気に落ちるのだろうとも言っていた。
行く先々で紅葉と庭園、とくに大徳寺では枯山水を眺めて心を洗い、
仏様に手を合わせて先生の御冥福を祈った。
先生と一緒に京都を訪れたことはないけれど、
紅葉を見ながら、さまざまな思い出が去来した。
あんなこともあった、こんなこともお話しした。
お弟子さんは他にもいらっしゃるのに、
幸運なことに私は先生と二人でお話しする機会が何度もあった。
そして、大切なことをたくさん、たくさん教わった。
途中、通り雨に降られて、あわてて飛び込んだのが黄梅院。
タイミングが悪くて、なかなか訪れることができなかった塔頭。
雨にますます紅葉が映えて、言葉にできない美しさだった。
方丈の前にボーーーっと座って思った。
そういえば、昔、人が死んで三日のうちに雨が降れば、
その人の死は非業の死ではなく往生であると聞いたことがある。
先生もそうだったのかぁと少し安心したような。
夜、いつもの町家の蕎麦屋で献杯していて、ふと気がついた。
先生が逝った28日は利休さんの月命日と同じではないか。
やっぱり、さすが先生だなぁ。。。と感心してみたり。
そうして、亡き先生と会話を交わす京都の殯の夜。
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