松本に住んでいたのは1970年代の半ばの4年間。
その後、1986年に再訪を果たしてから何度か訪れる機会はあった。
だけど、訪れる場所はかつての行動範囲ばかりで、その他の場所は食指がのびなかった。
今回は「あがたの森公園へ寄ってみたい」と思った。
(NHK『鶴瓶の家族に乾杯!』でロケされいるおを視て「そういえば、親に連れられて訪れたことが1回だけあったなぁ」と)
旧制・松本高等学校があったことは知っている。
(当時、父親が「北杜夫が通っていた」と言ってた。北杜夫も「どくとるマンボウ」シリーズの~というよりは少年ドラマシリーズで視た「ぼくのおじさん」の作者~という認識)
でも、現在「松本高校」が存在しないことも知っている。
松本の公立高校は松本深志とか松本県ケ丘、松本蟻ケ崎と「松本〇〇」という名称なんだよねぇ。
なんてことを考えながら、公園内に入っていくと資料館があった。
旧制松本高校の歴史はもちろん、全国に存在した40の旧制高等学校についての歴史、沿革、学生生活などがわかる展示で興味深った。
戦前の学制って、選択肢が多いというかややこし~
そして、旧制高校は昭和25年まであったということ、その場所は信州大学が設置され、校舎も使われた。
信大の文理学部(当時)が県キャンパルから旭キャンパスに移転したのは昭和48年だったことも今回知った。
あ、だからかぁ。
住んでいたのが旭町で信大キャンパスからも近かった。
そういえば、父親と散歩に出た折り、引きずられるようにして信大キャンパスを歩いたなぁ。
(あまりにも場違いすぎて、恥ずかしくて嫌で嫌で。半泣きで「早く帰ろうよぉ」とグズっていたっけ)
昭和ヒト桁生まれの父親はきっと旧制高校にもリクペクトしていたであろうし、戦後の大学キャンパスにも憧れみたいな思いがあったんだろうなぁ。
と今さらながらにして思う。
そして、旧校舎。
レトロな木造建造物を眺めていると、ふと自分が通っていた小学校に似ているような。
鉄筋コンクリ―トに建て替わる前の木造校舎と共通するような気がした。
再現教室。
この階段、なんか懐かしい気がする。
小学校はこんなにちゃんとしてなかったような。
廊下は神戸の出身高校の校舎を思い出させる雰囲気。
ちなみに、高校は昭和初期の鉄筋コンクリ(レトロというか、大大阪と同時期の建造物)だったけどね。
それも平成になってすぐ取り壊されたので、もう訪れることはできない。
この前に寄った小学校の校舎を見たせいかもしれないけど、
「戦後の高度成長期に建った鉄筋コンクリ建築って、風情がないあなぁ」と改めて思う。
松本市内の場合、今回は寄らなかった旧開智学校など文化財になっている木造建築もある。
こういう建物は大事に保存してほしいと思わずにはいられなかった。
この風景は覚えている。半世紀経っても同じ。
あがたの森公園から松本駅へは一本道。
かつては市民会館でよく観劇によく来たものだ。
でも、かなり変わってしまったような。
松本手毬のマンホール。
観光案内所の松本城の模型。
世界中から観光客が訪れている~。一番多いのはヨーロッパ?
ホームの立ち食い蕎麦屋でちょっと早めの夕食。
16時半すぎの電車で下諏訪へ戻った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます