母は、無学でしたが造語の上手な人でした。
今でも私の生きる指針になってるのが、「寝たが 勘定」です。
幼い頃、末っ子のケンカ大将の私は、喧嘩しては負けて、「母さーん」と泣いて訴えてました。すると母は、懐に私を抱くと「おーよしよし、さあさあ寝たが勘定」とよくあやされたものでした。
どんな意味か考えもせず、母の胸を触りながら寝ては、次の朝には忘れて起きる・・・・の繰り返しだったのでは?
多分、母は辛い時も苦しい時も「寝たが勘定」と眠りにつき、少しずつ 気持ちを明るくしていったのでは? 今やこの母の「寝たが勘定」は、私の生きる指針になってますね。楽天的に生きる! 寝ることは、幸せ!
次が、「バカコイ バカコイ」です。これも幼い頃、パーンパーンと、時折朝から元気な弾む音が響いていました。
外遊び大好きな私は、「母さん、どっかでお祭りが始まるよ。遊びに行こうよ」と誘うと「あー、あれは、バカコイ、バカコイと、バカだけを呼んでるから行かれんのよ」と答え、別の日には「運動会をやってるんじゃない?」というと「馬鹿じゃないと行かれんのよ」と答えてましたね。 大きくなって考えたら、競艇場の開催を報せる遠くから聞こえるピストルの音でした。
三つ目が「はいはい学校」です。
子供たちが巣立ち、結婚し、両親だけの気楽な暮らしになった50代?頃、母は父に隠れて買物をするようになりました。
高額なものは羽毛布団、ソファセット、皮のジャケットですね。もしかしたら、私の知らない物も あるかも?
母たちの時代に一時期大流行した 催眠商法です。
母に言わせると「はいはい学校」だそうで、若者が「これ欲しい人?」とあおり聞きし、「はい」と早く答えた人が、最初は、ティッシュ、鍋、お菓子など小物を無料でもらえ、最後は、高価な品に変わるけど、集まってる主婦達は こぞって「はいはい」と手を挙げるんですって・・・。周りに負けられない雰囲気で・・・。それで契約してしまうって・・。時には、若者が家まで迎えに来てくれて・・・と嬉しそうに話してたね。でも、買ったことは父には内緒なので使えず隠して・・。
こんなに賢く「はいはい学校」とまで名付け俯瞰できる母がどうして・・と考えたとき、田舎生まれの田舎育ちの母にとっての「はいはい学校」は、小さな欲を満たしてくれる楽しみだったんですね。 都会の女性の その頃流行った「大衆演劇」と同じでは?1万円の束のレイを好きな役者にかけ、着物までプレゼントする人たちと同じでは?
その頃、姑も高価な着物や宝石をローンで買うと、旅行やパーティーへのご招待に はまってでしたね。
母も姑も賢く、生真面目な大正の女性でしたが、女の50代、60代、 どう生きるかは、難しいね。平成のオレオレ詐欺も 今では騙すだけではなく、強引に命までですものね。
造語名人の母が言ってましたわ。「トラブルにならないように、人の前を行かず、人の後ろを歩くんだよ」って・・。 「令和」ね。いいんじゃない?


