脚本家・橋田寿賀子追悼番組「おしん」総集編を、初めて見ました。1983年、私が45歳ごろの作品。
「おしん」を見ながら、大正5年生まれの母の人生と重ねていました。母も見てたのかなー。
大人しく無口で控えめで優しかった母♡ 今、その対極にいる娘の私。(甘やかし過ぎると こうなるぞー!)
私と母が、似てるところがあるとすると、花好きってところでしょうか? 母にどっか似てる気がしてターシャチューダーも好きでしたね。でも、母が亡くなったら、ターシャへの興味も失せました。
自宅の庭に咲く花を活けるって、かっての母と同じ日常です。
今、狭い庭の殆どをGIに明け渡しましたが、宿根草の花は春になると咲き乱れ、BAちゃん 周りの雑草抜いてって庭から呼ばれるよ! そのお礼に ほら こんなに美しい花の数々が・・・。ああー、人生って 花の収穫なんだね♡
母さんは、生まれた時から伯父の家に預けられ、とても苦労の多い人生だったんだね・・・。色んなことを もっといっぱい根ほり羽織り聞いておけばよかったって、今も娘に思われる慕わしい存在って、幸せな人生だったんだよ♡
母さん 母さん 早く会って又 甘えたい気もするけど、母さんの年92歳での この世の深味も見たい気もするね。母さんの人生は、5人の子供達からの愛に包まれていたね。特に、私・あてちゃんからの・・・♡
パウンドケーキありがとう♥
T君から、創業明治10年という穀物屋のお菓子を頂きました。月に一度のT君とのゴルフは、こんなコロナ下でのGIの体と心の弾みに 有難い! BAは、お返しのお持たせに、最近凝ってる「甘油揚げ餅包」「梅ひじきのおにぎり」にしました。
私の母は74歳で旅立ちました。あと数年で同じ歳になります。
越すことが出来るか気持ちが焦ります。
1人では死ねない、みっともないものは残したくない。
今そんな気持ちになっています。
主人の母は95歳、同居は出来ませんでしたが
「主人を産んだ母だから」と出来るだけ手伝いに行きました。
横浜から名古屋です。息子のお嫁さんはこんな気持ちにはならないでしょう!
息子は優しいです!一方通行のコメントです📝