朱の徒然

変形性股関節症の77歳

DA・N・KA・I フェスティバル

2019年09月09日 | 日記

 「長谷川万大くんの追っかけしたいわー」と言ってたら、GIが『DA・N・KA・I フェスティバル』の、チケットを買ってきてくれてました。アリガト、アリガト!

                 

 呑気な二人暮らしの老夫婦は、1週間に1度は何となく外食をします。先週は、スーパーの中の(土佐の龍神丸)、先々週は別のスーパーの中の(長崎の庄屋)。 この日は、慌ただしく 自宅で おにぎりとみそ汁と漬物で昼食を早めに食べて出かけました。

 でも、開演12時からには間に合いませんでした。満席でしたので、立ち見で1番グループ『虹色サイダー』を観ましたが、山口まりのさんの愛らしいドレスもお声も あの一番好きだった時代オールディーズそのもので、思わず歌に乗って、ステップ踏んだね。立ち見で良かった!

 ようやく席を見つけて、万大くん!  「どうよ、どうよ」と、初めてのGIに言いながら、「花束持ってきたら良かったあ」と言って笑われましたが、こんな時って、思いっきり楽しみたいよね。

 次々と、皆さんが 懐かしい時代を歌われました。    それが、入場券1000円ですからねー。有難いですねー。映画代より安い!生演奏でよ! 有難うございました。客席は、団塊の世代以上で いっぱい。それも、GI様たちが多いねー、びっくりだよ!年寄りは元気!

 ただ、ゴスペル(宗教歌)には、場に合わない違和感とリーダーが厚かましく幾度も拍手を強要する姿に、不快感だけが残りました。

 『スイートポテト』というグループの歌われた(雨の物語・伊勢正三)(加茂の流れに・南こうせつ)は、語るように歌われたのに魅かれて、夜にYOU TUBEで 何度も聴いて楽しみました。ボーカルのお二人、しっとりと聞かせて、さすが年季が・・・お上手でしたあ。

 ラストの『NUTTY』は、揃いのドレスの愛らしいお孫さんの姿が、団塊に相応しっくって お幸せですねって感じで 良かったですよ!

 それにしても、5時間越えの長さに、皆さんすごい体力ですね。特に観客よ・・・。夕飯に牛丼の下ごしらえしてて正解でした。外食なんて、余力がないとできないね。すぐ、風呂風呂。心地よい疲れでは、ありました。GIと共通の万大君になったしね。

 

 でもさー、GI 私、踊りたいよ!出演者の方々も、観客を楽しませるというよりも、自分が歌って、演奏して楽しみたいんだよね。 

 やっぱ、BAは、懐かしのケントス(現メモリーズ)で プロの演奏の前で踊りたいよ!

 これって、自己顕示欲ではなくって、自己発散欲だよ!

 他人に見せたいわけじゃなく、生演奏の下で踊る ツイストる愉快さを体が覚えてるんだもの 踊りたいわー。

                       おねがーい、連れてって!

      薔薇とハナニラ。白で合うね。

 

 

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ほのぼの創作布人形・・・・久留米一番街

2019年09月06日 | 日記

 新聞に、佐賀の「ほのぼの創作布人形」が、やってくると載ってました。

 久留米の一番街?西鉄久留米駅の近く? 知らないけど、おしゃべりの口を持ってるので、気楽に出かけました。

 前日は、GIがゴルフで BAは、庭仕事。 今日は、GIが留守番で、BAはお出かけと 代わりばんこね。

 ここって、去年の夏、娘とお芝居の帰りに歩いた?とか思いながら、アーケード街をひたすら歩きましたが、チト 人通りが少ないねー。デパートも縮小だし・・・。久留米って、寂しくない? で、ギャラリーは、一番端っこにありました。

 「ほのぼの創作布人形」は、昭和のユーモアに溢れた 懐かしい姿の生き生きとした人形たちでした。

 

          記憶の中の風景ですって・・・。分かるー、時代が一緒ね。

 作者の方は、モダンなお優しい方でした。こんなに上手に出来られるのだから、要望としては、もう少しBAちゃんたちを、美人にお願いしたい!と、思ったことでした。

 頂いたパンフレットに浜田省吾の人形も作ったと書かれていましたので、この次は是非 工房をお訪ねしたいと思いました。

      無料の葉書 有難うございました。佐賀の大雨被災地の募金にされるそうで、よろしくお願いします。

        好きなこと、好奇心を頼りに、今の元気なうちに 見聞を広めなきゃね。

              帰りに「銀のスプーン」でお茶して、GIにケーキをお土産に買いました。

隣の川に亀の親子が・・・。

 

 O様は、抗がん剤の副作用で、目が見えずらくなったとのこと・・・・。

 S様は、8月は脳梗塞で倒れ9日間入院。後遺症はなしとのこと・・・良かった良かった。

 C様は、術後、手足のしびれがとれないと・・・。

 K様は、股関節よりも腰や膝が痛いので、外出は最低限にと・・・・。

 70代って、ほんと、みんなが、それぞれの体の弱点を抱えるんだね。かっては、考えられなかったね。

我が家の石のおんぶ人形。おんぶが、大好き!

 「ホトトギス」と「玉すだれ」と「ホタルブクロ」が咲いてました。

 体操教室で、「すだち」を頂きましたので、冷やしソーメンに入れて、香りを楽しみました。

 

ポール君、籐枕、マットレスの3点セット。マットレスは交代制。

風呂上り、裸で寝て、ポールを腰枕にして足の運動をします。腰が楽になって足が上がり 気持ち良いよ!

 その時GIは? 下品さに呆れて 側にいないよ。我流の体操だから続くのでしょうね。ポールが大好き!

 

  

        

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映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」タランティーノ製作・脚本・監督

2019年09月02日 | 日記

 1969年(私、22歳でした)。ハリウッドの高級住宅街に住むシャロン・テートという美しい女優と その友人たちが、狂信的なカルト集団に惨殺される事件が起き、全世界をLSD等の薬物の幻覚と洗脳の怖さと 得体のしれないヒッピーへの恐怖が襲いました。

 その時代のハリウッドを描いた映画というよりも、「シャロン・テート事件」を観客の脳裏に浮かばせながら、俳優とスタントマンの日常を描いた  尋常ではない暴力映画でした。

 実際に、何人もの方々が亡くなっているのですから、タランティーノ監督の過剰な思い入れでは済ませられない。シャロン・テートを あそこまで出す、この映画は作るべきではありませんでした。死者を冒涜して平気な LSD患者のような映画でした。

 

 8月30日のNHK・Eテレ「SNS英語術」にタランティーノ監督(56歳)が出て、「ワンス・アポン・ア・タイム・・・」昔、むかし・・・と言ってましたので、てっきり、我が家が毎月購入していた「スクリーン」や「映画の友」のような華やかな憧れのハリウッドが観れると期待してました。(子役のジュリア・パターズなんかとても素敵で雰囲気良かったので、尚更残念)。

  NHKが、暴力映画の宣伝に一役買うのはどうでしょう?  映画の中で、TVは暴力的番組放送が多いので、それを見て育った視聴者も暴力が日常と教訓的なことを、言ってはいたねー。  我が娘よ!観る価値のないイヤーな映画だよ。だから観客も、途中で20人ぐらい帰られたよ。

 きっと、ブラピとディカプリオの華やかハリウッド友情物語を期待されてたんだろうねー。あー、損したア。

 中1の孫たちよ!(二人とも、英検4級。頑張ってるね!)

 (ONCE UPON A TIME = LONG LONG AGO って、知ってた? BAちゃん初めて知ったよ。GIちゃんによると、この言葉は、中1で習う英語だってー。 娘も知ってたね。

 まあ、勉強に疲れた時、昔々さー おっちょこちょいで間抜けな うるさいBAさんがいてさー、って思い出してくれよね。英語だけは しっかり学ぶと 人生の幅が広がると思うよ。ガンバレー!まあ、運動もゲームも大事だけどさね。)

GIが「みたままつり」で買ったビー玉が、お風呂場に・・・。

お庭では、癒しの苔盆栽道で、馬を走らせてみました。

 

 

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進路を決めるって、人生を決めることだったのね。

2019年09月01日 | 日記

 60年以上前の、中学3年の時、日頃は主張しない母が言いました。

 「高校には行かずに、洋裁学校はどお?」と、どうやら本気のようで、「○○さんのお姉さんもドレメに行って、お母さんに洋服とか作ってあげてるらしいよ」と言ったので、びっくり!  私、中学は、学力優等生。漠然とですが 当然、大学も念頭に入っていました。

 この時が、(あー、母は、世の中が分かってない、何も相談できない)と思った 一番の大きな母との出来事でした。

 あの時代は、大学に行く女よりも、手に職のある女のほうが 母たち世代には、良き人生と映っていたんでしょうね。

 5人姉妹の中で、一人は看護師、一人は教師になったので、母の願いは一応 叶えられたのね・・・。良かったね。母さん!

 今、テイラの服を作ってあげたい・・・と思う時、あの時の母との会話を思い出します。もしも、洋裁師になっていたら、スイスイと作ってあげてたんだろうね・・・と。ただし、当時は、この私が針と糸を持つなんて バカな・・・・結婚するまで考えられないことでした。

 でも、結婚したら 縫物をしたいという静かな気分になって、娘とお揃いのゴム入りの簡単スカートとか 色々と我流で楽しみましたね。今でも、洋裁の初歩でも習っていたらと、思いますよ。母さんの言うことを聞いていたら・・・。結局、高校でも大学でも、これといって役に立つ有意義なものは何も学ばなかった。洋裁なら、もっと私の個性が出せたかも?って思いますね。

 今でも 我が娘が、小物を作ってる姿や、イラストなどの上手さを見ると(親バカですが)、40歳過ぎてもやってるってことは、好きだからだよね。もっと、もっと、芸術学部なんかを勧めればよかった・・・などと母は後悔してますよ。 十代って、本人も周りも特別に好きなものが、分からないものねー。磨いたらよかったね、その能力を・・・。才能あったと思うよ。

 BAのブラウスをリフォームして、ドレスにしましたが・・。

 ネックレスは、娘からの20年前の誕生祝。まだ、あの頃は、独身だったね。

 いつから、カエル好きになったんだろう?

雨が続くと、家の中から花を見て過ごします。

 この方のブログのファンですが、本は私には無理、5ページまでしか・・。ゴメンナサイ。

 

 

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