先週のNHK大河ドラマ「江」は江がいよいよ徳川秀忠と結婚するお話でした。
江はこれが3度目の結婚、しかも新郎秀忠は17歳なのに対して江は6歳年上。これが秀吉による徳川家への押しつけ、つまり政略結婚の典型とどなたもが思うでしょう。私もそう思います。大河ドラマの脚本家が描いた二人の感情的な関係はもちろん創作であり、どのような秀吉の政略があったのかを知りたいところです。単に「徳川家と豊臣家のきずなを強くする」という一般論ではなくて、もっと具体的な何かはなかったのでしょうか。
私が注目したのは二人の婚姻時期。WIKIPEDIAによれば文禄4年(1595年)。前回の記事で書いた豊臣秀次切腹と同じ年です。
★ 前回の記事「関白豊臣秀次切腹」
先週の放送ではまったく無視されていましたが、前回の記事で書いたように文禄の役と慶長の役の間にあって日明和平交渉が国家的重大事であった文禄4年。秀吉の秀次朝鮮出陣予告が出され、秀次の弟・秀保が不審な死をとげ、そして秀次の切腹という事件が次々と起きた(おそらく)騒然とした状況の中での二人の婚姻。これには国家戦略としての秀吉の並々ならぬ意志がこめられていたはずです。私は「唐入り」という秀吉の国家戦略の一環に二人の婚姻も位置づけるべきと考えますが、いかがでしょうか。
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【信長は謀略で殺されたのだ 偶発説を嗤うシリーズ】
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う
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信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(完結編)
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(駄目押し編)
江はこれが3度目の結婚、しかも新郎秀忠は17歳なのに対して江は6歳年上。これが秀吉による徳川家への押しつけ、つまり政略結婚の典型とどなたもが思うでしょう。私もそう思います。大河ドラマの脚本家が描いた二人の感情的な関係はもちろん創作であり、どのような秀吉の政略があったのかを知りたいところです。単に「徳川家と豊臣家のきずなを強くする」という一般論ではなくて、もっと具体的な何かはなかったのでしょうか。
私が注目したのは二人の婚姻時期。WIKIPEDIAによれば文禄4年(1595年)。前回の記事で書いた豊臣秀次切腹と同じ年です。
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先週の放送ではまったく無視されていましたが、前回の記事で書いたように文禄の役と慶長の役の間にあって日明和平交渉が国家的重大事であった文禄4年。秀吉の秀次朝鮮出陣予告が出され、秀次の弟・秀保が不審な死をとげ、そして秀次の切腹という事件が次々と起きた(おそらく)騒然とした状況の中での二人の婚姻。これには国家戦略としての秀吉の並々ならぬ意志がこめられていたはずです。私は「唐入り」という秀吉の国家戦略の一環に二人の婚姻も位置づけるべきと考えますが、いかがでしょうか。
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そういう時代に生まれなくてよかったですね。私はつくづくそう思います。
私と同じテーマで書いておられたのでコメントさせていただきました。
このテの話は恐らく確証に至ることは難しいと思いますが、いろいろと想像してみるのは面白いですね。私も推測を楽しむのは大好きです。
ブログ「江戸東京万華鏡」拝見しました。同じようなスタンスで同じ歴史事件を追っている方にめぐりあえて、とてもうれしいです。大変丁寧に書いておられ、感服いたしました。
ブログにトラックバックさせていただきますのでよろしくお願いいたします。
今後ともよろしくお願いいたします。