本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

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大河ドラマ「江」の歴史捜査22:聚楽第の落首

2011年06月14日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 先週の大河ドラマ「江」は茶々が淀城を与えられて淀君と呼ばれるようになり、秀吉の子を産み、正室と並んで豊臣家の妻の存在となったというお話でした。
 その中で茶々の産んだ子が秀吉の子ではないという落首が聚楽第の壁に書かれ、怒った秀吉が職務怠慢として門衛17人を処刑し、犯人に関係するとして二つの町を焼き払い、60人以上を処刑したという話が出てきました。
 この話は信憑性のある史料に書かれていた記憶があって調べたのですが見付かりませんでした。インターネットで調べると天正17年2月25日の聚楽第落首事件として書いたものがありましたが、根拠史料が偽書『武功夜話』と書かれているので確かな話ではありません。もう一度、信憑性ある史料を探してみます。
 ただし、イエズス会宣教師フロイスの書いた『日本史』には「多くの者は、もとより彼には子種がなく、子供をつくる体質を欠いているから、その息子は彼の子供ではない、と密に信じていた」と書いていますので、当時から噂があったことは間違いないようです。
 また、秀吉に対する落首の話は別にもあり、当時の人々が秀吉の政治に反発していたことをうかがわせるのですが、そのことに関する明解な研究成果が入手できていません。明治時代以降、秀吉が国家の英雄として「批判されざる者」であったことが歴史研究に重い影響を残していると感じます。
 ★ 軍神豊臣秀吉が歪めた本能寺の変研究

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