小泉八雲 「思い出の記」 小泉 節子(セツ) 八雲の妻 恒文社 1976年
P-21
怪談は大層好きでありまして、「怪談の書物は私の宝です」といっていました。
私は古本屋をそれからそれへと大分探しました。
淋しそうな夜、ランプの芯を下げて怪談をいたしました。
ヘルン(ハーン)は私にものを聞くにも、その時には殊に声を低くして息を殺して恐ろしそうにして、私の話を聞いているのです。
その聞いている風がまた如何にも恐ろしくてならぬ様子ですから、自然と私の話にも力がこもるのです。
その頃は私の家は化け物屋敷のようでした。
私は折々、恐ろしい夢を見てうなされ始めました。
このことを話しますと「それでは当分休みましょう」といって、休みました。
気に入った話があると、その喜びは一方ではございませんでした。
私が昔話をヘルンにいたします時には、いつも始めにその話の筋を大体話します。
面白いとなると、その筋を書いておきます。
それから委(くわ)しく話せと申します。
それから幾度となく話させます。
私が本を見ながら話しますと、「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、
あなたの考えでなければいけません」と申します故、自分のものにしてしまっていなければ
なりませんから、夢にまで見るようになって参りました。
話が面白いとなると、いつも非常に真面目にあらたまるのでございます。
顔の色が変わりまして目が鋭く恐ろしくなります。
その様子の変わり方がなかなかひどいのです。
たとえばあの『骨董』の初めにある幽霊滝のお勝さんの話の時なども、私はいつものように話して
参りますうちに顔の色が青くなって眼をすえているのでございます。
いつもこんなですけれども、私はこの時ふと恐ろしくなりました。
私の話がすみますと、始めてほっと息をつきまして、大変面白いと申します。
「アラッ、血が」あれを何度も何度もくりかえさせました。
どんな風をしていったでしょう。
その声はどんなでしょう。
履物の音は何とあなたに響きますか。
その夜はどんなでしたろう。
私はこう思います。
あなたはどうです、などと本に全くないことまで、いろいろと相談いたします。
二人の様子を外から見ましたら、全く発狂者のようでしたろうと思われます。
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怪談は大層好きでありまして、「怪談の書物は私の宝です」といっていました。
私は古本屋をそれからそれへと大分探しました。
淋しそうな夜、ランプの芯を下げて怪談をいたしました。
ヘルン(ハーン)は私にものを聞くにも、その時には殊に声を低くして息を殺して恐ろしそうにして、私の話を聞いているのです。
その聞いている風がまた如何にも恐ろしくてならぬ様子ですから、自然と私の話にも力がこもるのです。
その頃は私の家は化け物屋敷のようでした。
私は折々、恐ろしい夢を見てうなされ始めました。
このことを話しますと「それでは当分休みましょう」といって、休みました。
気に入った話があると、その喜びは一方ではございませんでした。
私が昔話をヘルンにいたします時には、いつも始めにその話の筋を大体話します。
面白いとなると、その筋を書いておきます。
それから委(くわ)しく話せと申します。
それから幾度となく話させます。
私が本を見ながら話しますと、「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、
あなたの考えでなければいけません」と申します故、自分のものにしてしまっていなければ
なりませんから、夢にまで見るようになって参りました。
話が面白いとなると、いつも非常に真面目にあらたまるのでございます。
顔の色が変わりまして目が鋭く恐ろしくなります。
その様子の変わり方がなかなかひどいのです。
たとえばあの『骨董』の初めにある幽霊滝のお勝さんの話の時なども、私はいつものように話して
参りますうちに顔の色が青くなって眼をすえているのでございます。
いつもこんなですけれども、私はこの時ふと恐ろしくなりました。
私の話がすみますと、始めてほっと息をつきまして、大変面白いと申します。
「アラッ、血が」あれを何度も何度もくりかえさせました。
どんな風をしていったでしょう。
その声はどんなでしょう。
履物の音は何とあなたに響きますか。
その夜はどんなでしたろう。
私はこう思います。
あなたはどうです、などと本に全くないことまで、いろいろと相談いたします。
二人の様子を外から見ましたら、全く発狂者のようでしたろうと思われます。