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「老木の花」 白洲 正子

2014年04月24日 00時36分12秒 | 雑学知識
 「友枝 喜久夫」 老木(おいき)の花  出典「美は匠にあり」 白洲 正子 著

 前略

 私がなぜこの本に「老木の花」という題名を与えたか、それは私の造語ではなく、
世阿弥が父親の観阿弥を評した言葉に、・・・年をとってからは、舞台の花はすべて初心者にゆずり、
自分自身は控えめに、はでなことは一切しないでいたが、
それにも拘わらず「花はいやましに見えし也。これまことの花なるが故に、
能も枝葉もすくなく老木になるまで花は散らで残りしなり」(花伝書)によったものである。

 そのほかにも、「老木に花の咲かんがごとし」という形容を世阿弥は度々用いており、
老人になってからの芸がいかに大切か、人生の最後に咲いた花こそ、
「まことの花」であるとくり返し説いている。

 先に述べたようにそれは日本の文化一般に通じる思想であって、
西洋の芸術が若さと力の表徴であるなら、
これは人生の経験を積んだ後に到達することのできる境地と呼べよう。
私はどちらがいいなどといっているのではない。ただ年をとるということは、
ある意味では生涯で一番楽しい時期ではないかとひそかに思っているにすぎない。
というのは、若い時には知らずにすごしたさまざまなものが見えて来るからだ。

 後略

 友枝 喜久夫 (ともえだ きくお。1908年9月25日 - 1996年1月3日) は
昭和期に活躍した喜多流の能役者。
特に三番目物を中心としてすぐれた境地を見せ、「最後の名人」の名をほしいままにした。
 熊本藩お抱えの能役者の家に生れる。
父友枝為城及び喜多流十四世宗家喜多六平太に師事。
老境に入って目を病み半ば失明状態となったため、
1990年の『景清』を最後に能を舞うことはなかったが、最晩年まで仕舞によって舞台に立ちつづけた。