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「大人のための文章教室」 その2 清水 義範

2015年04月10日 00時12分55秒 | 文章読本(作法)
 「大人のための文章教室」 その2 清水 義範 講談社現代新書 2004年

 「日本を代表する二大随筆」 P-177

 世の中はけしからん、日本人は愚かである。人類は滅亡するしかない、というようなことを書くのが随筆であり、人々を叱りとばすのが知的文化人たる評論家の役目だと思っているかの如しだ。
 私が、日本の随筆文学で『枕草子』と『徒然草』を二つの代表作だと思っているのはそのせいである。
 まず『徒然草』について言えば、あれは日本の知識人が世間を叱りとばし、要するに私を見ならえ、という調子に書いてある辛口評論の原型なのである。昔読んだ『徒然草』に無自覚に影響されて、人は年を取るとああいうお叱り文章が書きたくなるのだ。
 その意味で『徒然草』は日本の随筆の一方の見本なのだと思う。
 そしてもう一方の見本が『枕草子』だ。あれは、女性が書く随筆の原型なのである。
 男の随筆は煎じ詰めると、私は利口だからみんな見ならえ、ということが書いてある。
 それにたいして女性の随筆は結局のところ、私は感性が優れていてセンスがいいのよ、ということが書いてあるのだ。時には自嘲的だったり、失敗談を装っている場合もあるのだが、要するにそこで言いたいのは感性の自慢だというのが女性の随筆なのである。

 中略

 そしてそのことは少しも悪いことではない。人はだれだって、私にならえ、とか、私ってセンスがいいのよ、と言いたいのだ。それをいやがられないようにうまく言ってしまうのが随筆の醍醐味だと言えるくらいだ。
 その意味で、日本人にとっての随筆の二大お手本が、『枕草子』と『徒然草』なのである。