「大人のための文章教室」 その4 清水 義範 講談社現代新書 2004年
「自分の出し方をどうするか」 その1 P-183
さてそういう随筆を書いていて、その究極の目的は自分をひとに知らしめたいわけである。私はこういう人間でして、というのをひとに伝えることに随筆の快感があるのだから。
しかし、どんな風に自分を出すか、というのがむずかしい。臆面もない自慢、と受け止められてはいけないのだから。そういう随筆は読んでもらえない。
さりげなくて、品がよくて、知性が漂っている、というふうに自分を出せたら最高なのだが、そんなふうに随筆を書けるのは相当の名手である。
どんなふうに自分らしさを表現すればいいのだろうか。
実は、その問いに答えはない。なぜなら、そのやり方にこそ、その人らしさ、つまり個性が出るのだから。その人の個性によって、自己表現のしかたもいろいろであって、こう演じたほうがいい、というコツはないのだ。あなたとしては、いろんな随筆を読んで、この人の語り方が肌に合うなあ、というのを真似てみるのがいちばんの策であろう。
そこで私としては、こういう自己表現のしかたはやめたほうがいいですよ、という悪い例を二つばかりあげておこう。なぜやめたほうがいいかと言うと、読む人にうんざりされるからだ。
そのひとつは、また私の思いつき的命名だが、「変わり者の私は」的自己表現である。
これは、自分は変わり者であるということを認めて、むしろそれを前面に出し、普通じゃないけどチャーミングでしょう、という印象を与えようとというものだ。もちろんそのやり方が絶対にいけないわけではなく、作家などがその方式で見事な随筆を書いてしまうことはあるのだが、一般人はあまりやらないほうがいいのである。
なのに、これが案外多い。主婦の文章、働く女性の文章など、女性に多い気がする。そういうものを読んだ感想は、臭い、である。
中略
アドバイス。随筆を書く時は、自分は普通の人間だが、と思っていたほうが読みやすいものが書けます。
「自分の出し方をどうするか」 その1 P-183
さてそういう随筆を書いていて、その究極の目的は自分をひとに知らしめたいわけである。私はこういう人間でして、というのをひとに伝えることに随筆の快感があるのだから。
しかし、どんな風に自分を出すか、というのがむずかしい。臆面もない自慢、と受け止められてはいけないのだから。そういう随筆は読んでもらえない。
さりげなくて、品がよくて、知性が漂っている、というふうに自分を出せたら最高なのだが、そんなふうに随筆を書けるのは相当の名手である。
どんなふうに自分らしさを表現すればいいのだろうか。
実は、その問いに答えはない。なぜなら、そのやり方にこそ、その人らしさ、つまり個性が出るのだから。その人の個性によって、自己表現のしかたもいろいろであって、こう演じたほうがいい、というコツはないのだ。あなたとしては、いろんな随筆を読んで、この人の語り方が肌に合うなあ、というのを真似てみるのがいちばんの策であろう。
そこで私としては、こういう自己表現のしかたはやめたほうがいいですよ、という悪い例を二つばかりあげておこう。なぜやめたほうがいいかと言うと、読む人にうんざりされるからだ。
そのひとつは、また私の思いつき的命名だが、「変わり者の私は」的自己表現である。
これは、自分は変わり者であるということを認めて、むしろそれを前面に出し、普通じゃないけどチャーミングでしょう、という印象を与えようとというものだ。もちろんそのやり方が絶対にいけないわけではなく、作家などがその方式で見事な随筆を書いてしまうことはあるのだが、一般人はあまりやらないほうがいいのである。
なのに、これが案外多い。主婦の文章、働く女性の文章など、女性に多い気がする。そういうものを読んだ感想は、臭い、である。
中略
アドバイス。随筆を書く時は、自分は普通の人間だが、と思っていたほうが読みやすいものが書けます。