民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「昭和おもちゃ箱」 阿久 悠

2015年04月20日 00時15分33秒 | エッセイ(模範)
 「昭和おもちゃ箱」 阿久 悠 産経新聞社 2003年(平成15年)

 あの頃と今この時―――あとがきにかえて

 時代は見えない。多くの人が時代を見つめると云い、ぼくもまた、それをテーマにする作家だと語っているが、実は、時代そのものには姿がない。
 それはちょうど、人間の体の中に「健康」という部分がないのと同じことである。他のものをもって、「健康」の存在や不在を証明する。それが血液であったり、尿であったりする。
 それと同じことが時代にも云えて、その時誕生したり、存在したり、繁殖したものの組み合わせで、初めて時代の輪郭が見えるのである。それらは一見、単なる楽しみごとであったり、売りたい一心の商品であったり、突発の事件であったりするもので、時代を構築する意図などまるでなかったかに見える。ただし、それらが出現するにはそれなりの環境があったということで、これに思いを馳せると、「あの頃」と「今この時」が読めるのである。
 ぼくは、数字による報告書なるものをほとんど信じていない。数字化された時点で死滅する真実があって、それが「その時その時に特に感じた心持ちと気分」であるからである。生きた人間の心持ちと気分を無視して、何かを数字で表現したとしても、そこからは何も見えない。なぜなら、風俗を統計化すると、それはもう風俗ですらなくなってしまうからである。

 中略

 なぜか、昭和30年代を懐かしむ空気が社会に満ち始めている。商店街の通りがあり、映画館があり、銭湯があり、喫茶店があり、貸し本屋があり、駄菓子屋があり、そして、少々の暗がりの場をおいて、ぽつんと裸電球の街灯がともり、ラーメンの屋台が出ている。そういう懐かしの町を、現実に復活させているところもあるらしい。
 そこを訪ねた人は、当然のことに懐かしがる。生き返ったような顔をする。それどころか、その町の景色も匂いも知る筈のない若い人たちまでが、「ある種の不思議な懐かしさ」を覚えるという。
 なぜなのだろうか。それは説明し難いことだが、今の社会があまりにも「湿り」と「暗がり」を忘れ、人間と人間が対面して話すことを忘れてしまったための、飢えの結果ではないかと思う。良きにつけ悪しきにつけ、間違いなく人間が主体であった時代を恋しがるのであろう。

 かつて、といってもほんの40年前ぐらいまでは、人間はよくしゃべった。挨拶もよくした。しゃべらなくなったのは、挨拶の相手が自動販売機になってしまったことと、ヘッドホンステレオと携帯電話で耳を塞ぐようになってからである。同時に表情が消えた。

 後略

 平成14年12月5日 伊豆にて