民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「老いの嘆き」 杉浦 明平

2015年07月13日 00時08分01秒 | 健康・老いについて
 偽「最後の晩餐」 杉浦 明平  筑摩書房 1992年

 「老いの嘆き」 P-219

 年を取るというのは、まことにいやなこと、不愉快極まることである。老境に安んじるなどというのは、老人になったことのない五、六十代の空想か、もしくは特別強壮に造られたごく少数者のたわごとにすぎない。

 中略(七十一の年に胃を切ってからの体力の低下をたらたら・・・)

 その他の時間は、脳細胞の老衰硬化の進行のせいか、面倒臭くてたまらず、かつ茫々漠々として、苦痛と困難が伴うのを避けがたい。年とともに記憶力、集中力、持久力が失われてしまったゆえに、まとまった文章を書き綴るのにいたく苦しまなくてはならぬのである。何か一つのテーマで書きはじめても、たちまち脇道にそれ、さらにもっと違った細路に迷いこみ、延々とめどない長話となってしまう。同じ年ごろの仲間が老いの繰り言を続けていると、傍らで聞いているといらいらするが、わたしじしんも同じことじゃないかと気がつくにつけて、年は取りたくないものだと思う。(88年・秋)