民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「不快との戦い」 杉浦 明平

2015年07月17日 01時03分58秒 | 健康・老いについて
 偽「最後の晩餐」 杉浦 明平  筑摩書房 1992年

 「不快との戦い」 P-228

 齢(よわい)七十五を過ぎれば、いま書いているものがすべて絶筆になるかもしれぬ。

 中略(書く気力がなくなった話をたらたら・・・)

 一つの仕事が終了すれば、一休みして、生気一新、また次の仕事に取りかかるはずなのに、それができぬのが「老い」のしるしなのだ。三枚や五枚のエッセーを依頼されると、そんなものくらい一、二時間もあればお茶の子さいさいと軽く承諾する。が、締め切りが切迫して原稿用紙に対すると、頭の内部にもやもやと霞が立ちこめて、一字一字を絞り出さなくてはならぬ。

 中略(腹が減ると機嫌が悪くなる話をたらたら・・・)

 はっきり言えば、一日一日が、老いという不快きわまるものとの肉体的精神的苦闘の連続だといってよい。
 そんなら早く首でも吊って死んでしまえばよいという向きもあろうが、やはりもう一度出直しのきかぬ命をそうむざむざ捨てる気はない。こちらがいくら拒否しても来るものは来ること、秦の始皇帝でさえまぬがれなかったではないか。こちらからわざわざ出迎えるまでもあるまい。
 そのうえ、今の世界が実に面白いのだ。わたし自身は、今や観客の一人にすぎぬが、中国、東欧をはじめ世界中のめまぐるしい変転、人間の栄枯盛衰など、からくり芝居以上。よくもわるくも、若いころ想像もできなかったほどすさまじく、愉快でたまらぬ。どのように相成るやら、もう十年か二十年ほど生きて、推移を見物していたいものである。(89年11月)