偽「最後の晩餐」 杉浦 明平 筑摩書房 1992年
「立原道造詩集」 P-225
もしも老人になったら、などと考えたことが一度もなかった。招かれざる客として老齢に迷い込んでしまったみたい。
ただ老境に入れば、悠々として自然に親しんだり、人生を達観したりするものだと、漠然と思っていないでもなかった。もっともそんな心境になったとしたら、長生きしても、くそ面白くないだろうなあとも。
そしていま一挙にして老境に入ってみると、老人の心境を讃えるといわないまでも、肯定するような辞句は、まったく老人の心理も体も知らぬいい加減、でたらめであると知った。悠然ではなく、精神的、肉体的反応が鈍化して、万事につけて鈍くさくなったにすぎない。
小さなどぶ川を跳び越えたつもりだったのに、気がついたら泥水に足がはまっていたり、ちょっとした舗道のくぼみにつまずいて、ぱったり倒れそうなほどよろめいたり、耳は遠くなり、目はかすみ、嗅覚は衰えて、花の香りもうなぎ丼のにおいも縁遠くなった。骨も硬化して首を四十五度以上回すことが困難で、歩道を歩いている際でも、後ろから疾走してきた自転車に気がつかず、危うく追突されかかったり、ろくなことは起こらない。
後略(胃を切った後、立原道造詩集の編集をどうにか終えた話をたらたら・・・)
「立原道造詩集」 P-225
もしも老人になったら、などと考えたことが一度もなかった。招かれざる客として老齢に迷い込んでしまったみたい。
ただ老境に入れば、悠々として自然に親しんだり、人生を達観したりするものだと、漠然と思っていないでもなかった。もっともそんな心境になったとしたら、長生きしても、くそ面白くないだろうなあとも。
そしていま一挙にして老境に入ってみると、老人の心境を讃えるといわないまでも、肯定するような辞句は、まったく老人の心理も体も知らぬいい加減、でたらめであると知った。悠然ではなく、精神的、肉体的反応が鈍化して、万事につけて鈍くさくなったにすぎない。
小さなどぶ川を跳び越えたつもりだったのに、気がついたら泥水に足がはまっていたり、ちょっとした舗道のくぼみにつまずいて、ぱったり倒れそうなほどよろめいたり、耳は遠くなり、目はかすみ、嗅覚は衰えて、花の香りもうなぎ丼のにおいも縁遠くなった。骨も硬化して首を四十五度以上回すことが困難で、歩道を歩いている際でも、後ろから疾走してきた自転車に気がつかず、危うく追突されかかったり、ろくなことは起こらない。
後略(胃を切った後、立原道造詩集の編集をどうにか終えた話をたらたら・・・)