「文章読本 X」 その3 小谷野 敦 中央公論新社 2016年
「文章を削ることの建前と真実」 P-48
文章をよくする要諦は削ることだという意見がある。志賀直哉を褒める時などに用いられる。これはある面では正論である。削る時に、一番削るべきものは、副詞である。「非常に」の類である。2011年の東北の大地震のあと、「被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます」といった文言があちこちに出ているが、私はあの「心より」は、常套句であって、そういう文言を出すのは組織の通弊なのだろうと思いつつ、「心より」があるために、いかにもおざなりな感じを受けるのである。
さて、実際には作家でも、削らない人は多い。社会派推理小説や警察小説などで、最近は上下二巻の分厚い小説が書かれることが多いが、あれは明らかに削らず、むしろ水増ししている。そのため、私などが読むとどんどん飛ばし読みしても筋が分かる。水増ししたほうが、大衆には分かりやすいからだ。
この「削る」については、建前と真実が乖離しているので詳しく書いておく。志賀直哉の文章を例にあげて、削って削って短くするのがいい、と唱える者がいるが、小説であれば、削ると短編になってしまう。しかし短編ばかり書いていても、作家の生計が成り立たないので、ふくらませて長編にするということが少なくないのである。
以下略
「文章を削ることの建前と真実」 P-48
文章をよくする要諦は削ることだという意見がある。志賀直哉を褒める時などに用いられる。これはある面では正論である。削る時に、一番削るべきものは、副詞である。「非常に」の類である。2011年の東北の大地震のあと、「被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます」といった文言があちこちに出ているが、私はあの「心より」は、常套句であって、そういう文言を出すのは組織の通弊なのだろうと思いつつ、「心より」があるために、いかにもおざなりな感じを受けるのである。
さて、実際には作家でも、削らない人は多い。社会派推理小説や警察小説などで、最近は上下二巻の分厚い小説が書かれることが多いが、あれは明らかに削らず、むしろ水増ししている。そのため、私などが読むとどんどん飛ばし読みしても筋が分かる。水増ししたほうが、大衆には分かりやすいからだ。
この「削る」については、建前と真実が乖離しているので詳しく書いておく。志賀直哉の文章を例にあげて、削って削って短くするのがいい、と唱える者がいるが、小説であれば、削ると短編になってしまう。しかし短編ばかり書いていても、作家の生計が成り立たないので、ふくらませて長編にするということが少なくないのである。
以下略