「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 その1 伊藤 亜紗 光文社新書 2015年
まえがき (その1)
人が得る情報の8割から9割は視覚に由来すると言われています。小皿に醤油を差すにも、文字盤の文字を確認するにも、まっすぐ道を歩くにも、流れる雲の動きを追うにも、私たちは目を使っています。
しかし、これは裏を返せば目に依存しすぎているともいえます。そして、私たちはついつい目でとらえた世界がすべてだと思いこんでします。本当は、耳でとらえた世界や、手でとらえた世界もあっていいはずです。物理的には同じ物や空間でも、目でアプローチするのと、目以外の手段でアプローチするのでは、全く異なる相貌が表れてきます。けれども私たちの多くは、目に頼るあまり、そうした「世界の別の顔」を見逃しています。
この「世界の別の顔」を感知できるスペシャリストが、目が見えない人、つまり視覚障害者です。たとえば、足の裏の感触で畳の目の向きを知覚し、そこから部屋の壁がどちらに面しているのかを知る。あるいは、音の反響具合からカーテンが開いているかどうかを判断し、外から聞こえてくる車の交通量からおよその時間を推測する。人によっててがかりにする情報は違いますが、見えない人は、そうしたことを当たり前のように行っています。
まえがき (その1)
人が得る情報の8割から9割は視覚に由来すると言われています。小皿に醤油を差すにも、文字盤の文字を確認するにも、まっすぐ道を歩くにも、流れる雲の動きを追うにも、私たちは目を使っています。
しかし、これは裏を返せば目に依存しすぎているともいえます。そして、私たちはついつい目でとらえた世界がすべてだと思いこんでします。本当は、耳でとらえた世界や、手でとらえた世界もあっていいはずです。物理的には同じ物や空間でも、目でアプローチするのと、目以外の手段でアプローチするのでは、全く異なる相貌が表れてきます。けれども私たちの多くは、目に頼るあまり、そうした「世界の別の顔」を見逃しています。
この「世界の別の顔」を感知できるスペシャリストが、目が見えない人、つまり視覚障害者です。たとえば、足の裏の感触で畳の目の向きを知覚し、そこから部屋の壁がどちらに面しているのかを知る。あるいは、音の反響具合からカーテンが開いているかどうかを判断し、外から聞こえてくる車の交通量からおよその時間を推測する。人によっててがかりにする情報は違いますが、見えない人は、そうしたことを当たり前のように行っています。