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「大放言」 その14 百田尚樹

2017年08月10日 01時08分37秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「大放言」 その14 百田尚樹  新潮新書 2015年

 自分は誤解されているというバカ その1 P-29

「誰も俺のことをわかってくれない」
「みんな、私のことを誤解している」
 こういうことを口にする人は実に多い。気の置けない友だち同士で飲む時の愚痴の半分くらいはこれではないかというくらい、よく耳にする言葉だ。実際に面と向かって相談を受けたこともある。

 そんな時、私はいつもこう思う。「それは大きな勘違いである」と。「周囲の人は誰もお前を誤解していない。いやそれどころか、恐ろしいまでに正しく評価している」と。

 もし周囲の人があなたのことを、
「仕事ができない奴」と言うなら、それはまず正しい。
「気むずかしい奴」と言うなら、それもまず正しい。
「おべんちゃらばかり言う奴」と言うなら、それもまず正しい。
「そばにいると、疲れる子」と言うなら、それもまず正しい。
「尻軽で浮気な子」と言うなら、それもまず正しい。

 違う!本当の自分はそうじゃない、と反論したい気持ちはわかるが、他人の目はたいてい間違っていない。
 広い世界で自分のことが一番わかっていないのは、実は自分自身なのだ。

「こうありたい」「こうあるべきだ」という気持ちのバイアスが強烈にかかっているから、本当の自分を正しく見ることができない。当然、周囲の人の評価とは大きく食い違うことになる。それで「自分は誤解されている」という結論に至る。そして若い時ほど、その気持が強い。