「甦る江戸文化」 人びとの暮らしの中で 西山 松之助 著 NHK出版 1992年
「根無し草の両国盛り場」 P-192
平賀源内が宝暦13年に刊行した「根無し草」に、両国の盛り場状況がいきいきと描きだされている。
中略
大衆芸能・大道芸など、庶民が野外で自らの芸を演じて、見る人から金を貰うという芸は、
江戸時代にも多種多様に発達したが、盛り場はそういう意味では最も重要な大衆芸能、
大道芸が集まっていたところであった。
近代社会ではまったく見ることのできなくなったこれらの様々な芸を江戸では、
いわばごく普通の庶民が大道において見たり、聞いたりしていたのである。
そして芸を売る人たちと鑑賞する人たちの関係がきわめて和やかに成立していた。
ただ見て素通りしていくのではなく、名人芸があると、
惜しげもなく金持ちでもない庶民が金や持ち物を芸人に投げ与える。
芸人は芸を磨くために厳しいトレーニングをして、今では考えられないような見世物小屋、
大道芸の名人が多数存在した。これら大道芸の研究は必ずしもよくなされてはいないが、
私は、日本の盛り場におけるかつての芸は、想像以上に高度で多才であり、
すぐれた名人が多数輩出していたと考えている。
「根無し草の両国盛り場」 P-192
平賀源内が宝暦13年に刊行した「根無し草」に、両国の盛り場状況がいきいきと描きだされている。
中略
大衆芸能・大道芸など、庶民が野外で自らの芸を演じて、見る人から金を貰うという芸は、
江戸時代にも多種多様に発達したが、盛り場はそういう意味では最も重要な大衆芸能、
大道芸が集まっていたところであった。
近代社会ではまったく見ることのできなくなったこれらの様々な芸を江戸では、
いわばごく普通の庶民が大道において見たり、聞いたりしていたのである。
そして芸を売る人たちと鑑賞する人たちの関係がきわめて和やかに成立していた。
ただ見て素通りしていくのではなく、名人芸があると、
惜しげもなく金持ちでもない庶民が金や持ち物を芸人に投げ与える。
芸人は芸を磨くために厳しいトレーニングをして、今では考えられないような見世物小屋、
大道芸の名人が多数存在した。これら大道芸の研究は必ずしもよくなされてはいないが、
私は、日本の盛り場におけるかつての芸は、想像以上に高度で多才であり、
すぐれた名人が多数輩出していたと考えている。